<戦後70年>「戦争」とは何か? 脅威の増幅と安全保障のジレンマ
■1990年代
《冷戦が終結、国連に正当性を求める》 1989年の冷戦終結で、核戦争の脅威は過ぎ去りました。さらに、グローバル化によって世界中で通商が活発化。相互依存関係が世界中に広がった結果、インド-パキスタン国境紛争(1947-)などを除き、国家間の戦争はほとんど想定されなくなったのです。 これと並行して、ソ連崩壊(1991)により、西側先進国の影響力はそれまでになく増加。先進国はそれまで開店休業だった国連との連携を深め、その軍事行動の際に国連決議を経ることで、正当性を確保するようになりました。湾岸戦争(1991)での多国籍軍の派遣は、その象徴です。 このように冷戦終結後、国家間の戦争は抑え込まれましたが、それまで各国で封じ込められていた民族、宗教対立などは逆に噴出。ユーゴスラビアやアフリカ各地で内戦が頻発するなか、武器が市場を通じて出回るようになったことも手伝って、民間人が戦闘に関わったり、その被害者になったりすることが急増しました。50万人以上が殺害されたルワンダ虐殺(1994)をはじめ、無軌道な殺戮が目立つようになったのも、この頃です。 その一方で、冷戦終結後の欧米諸国では、人権や自由などの価値観がそれまでになく強調されるようになりました。その結果、「人道的に見過ごせない」と判断される場合に、欧米諸国が相手国政府の反対を押し切って軍事介入することがしばしば生まれました。コソボ内戦へのNATOの介入(1999)はその典型です。しかし、介入の有無を判断するのが結局は西側先進国で、それが「国際社会」の冠をかぶって行動する傾向に、特に中ロは警戒感を強めていったのです。
■2000年代以降
《「国家vs.非国家」と対テロ戦争が常態化》 2000年代以降の最大の特徴は、対テロ戦争です。これで「戦争は国家間で行われるもの」という近代の常識は覆り、「国家vs非国家主体」の準戦時体制が日常化したのです。 国家間の関係に目を移すと、欧米中心の国際環境は、中ロの台頭で流動化し始めました。各国の力の差が埋まる状況は、世界大戦期に共通します。さらに、金融危機などを背景とする社会的な不満とともに、ナショナリズムが高まる状況も、世界大戦期と類似します。 ただし、経済的な付き合いが増えるにつれ、摩擦も増えるものの、国家同士がまともに衝突することのコストは、これまでになく高まっています。その結果、「仲良くなれず、戦争もできず、しかも付き合い続けなければならない」フラストレーションも高まります。この点で、アロンが捉えた冷戦のジレンマは、より深まっています。