<戦後70年>「戦争」とは何か? 脅威の増幅と安全保障のジレンマ
■世界大戦期(1910年代~1940年代)
《ナショナリズムで国民を巻き込み戦争が大規模化》 ただし、帝国主義時代には世界全体を巻き込む大戦争は稀でした。ところが、その後の約30年間には、第一次世界大戦(1914-18)、第二次世界大戦(1939-45)と二度の大戦争が発生。この背景には、様々な環境の変化がありました。 世界各地の植民地化が進み、分割の余地が少なくなるにつれ、列強同士の生き残りをかけた争いは、それ以前にも増して激化。それは特に、第二次世界大戦で鮮明になりました。世界恐慌(1929)後、広い国土をもつ米国や多くの植民地をもつ英仏が自国の経済復興のために保護貿易に転じたことは、広い国土も多くの植民地もない「持たざる国」だった日独伊の経済的苦境に拍車をかけ、これらによる他の列強の植民地などへの侵略を加速させたのです。 戦争の大規模化は、新兵器の登場(第一次世界大戦での戦車、潜水艦、毒ガスなど)だけでなく、それまで以上に国民が戦争に関わることによっても促されました。社会的な不満が高まるなか、国民の間に生まれた「排他的なナショナリズム」を普通選挙ですくい上げたナチスの政権獲得(1933)は、その典型です。 国力と国民生活の全てをつぎ込む「総力戦」の登場は、それまで以上に、為政者に戦争を道徳的、政治的に正当化させました。第二次世界大戦で、日本は「アジアの解放」を掲げながらも実際にはアジア各地を支配しましたが、一方で米国はヨシフ・スターリン支配下のソ連をも連合国に加えながらも「全体主義と民主主義の戦い」を掲げました。国民を動員するための国内向けメッセージという点で、これらは共通します。
■冷戦時代(1945年~1989年)
《イデオロギー対立と「脅威」への不信感》 第二次世界大戦の終結と冷戦時代の到来は、「戦争」の観点からみて大きな画期となりました。フランスの社会学者レイモン・アロンは冷戦を指して「平和は不可能だが、戦争は起こりそうにない」と評しました。資本主義と共産主義という異なるイデオロギーを奉じる米ソは全く相いれない間柄でしたが、核戦争につながりかねない直接対決を回避することは、両国共通の利益でもありました。 これに加えて、第二次世界大戦後に植民地主義は衰退し、土地をめぐる争いは減少。さらに、数百年に渡って戦争を繰り返していた西欧諸国同士の間では、貿易などの通商が発達し、戦争のコストが高まりました。これらの背景のもと、冷戦時代には大国同士の戦争が影を潜めたのです。 ただし、冷戦時代には朝鮮戦争(1950-53)やアフガニスタン戦争(1979-89)など、イデオロギー的な勢力圏をめぐって、超大国の支援を受けた小国同士、あるいは超大国と小国の間の戦争が増加。そのなかで、それまで以上に「正しさ」が強調されるようになりました。 国際連合の成立は、「加盟国に対する侵略への制裁」を「正しい戦争」と捉える「正戦論」の制度化も意味しました。しかし、米ソ対立の本格化で、安保理は何も決められなくなります。そのなかで、ベトナム戦争(1961-75)で米国が「共産主義の脅威」を掲げたように、国連決議を経ないまま「正しさ」が強調されることが増えたのです。 しかし、ベトナム戦争は米国政府の意図と裏腹に、戦場の様子を伝えるメディアの発達によって、為政者が掲げる「脅威」と「正しさ」に多くの人々が不信感を強める契機にもなりました。大戦を経験した人々が多かったこともあり、冷戦時代は総じて民主主義が「反戦」に結びつきやすかったといえます。