ほぼ独学の画家・尾花成春が問い続けた空間や時間、存在とは…福岡県・久留米市美術館で回顧展
前衛美術集団「九州派」などで活躍した福岡県うきは市出身の画家、尾花成春(1926~2016年)の回顧展が同県の久留米市美術館で開かれている。 【写真】「描くのに水ほど興味があり、困難なものはない」日本画の新境地開いた大分出身の画家・福田平八郎
ほぼ独学の画家が終生、心に刻んでいたのが、旧制中学時代に歌人である父親から言われた「お前の山には存在感がない。山の裏側を描け」という言葉だった。九州派で活躍した1950~60年代は、菜の花が咲く筑後平野をモチーフに、アスファルトや廃材を使った黄色い絵画に挑んだ。
70年代から16年取り組んだ「筑後川シリーズ」は、晩秋のある午後、野を照らしていた日が陰った瞬間、眼前に死の世界が広がったかのような神秘的な体験をしたことから始まった。描かれているのは、悠々と流れる川の水でも、周辺の緑でもない。うねるような形の枯れ草に覆われた大地だ。そこで見いだした自然の荘厳さや、生命力を執拗なほどに表現している。
シリーズ終盤の作品群では、うねる草と一体化した鳥の姿が描かれ、護岸工事などで自然が失われていくことへの強い怒りを感じさせる。集大成の「筑後川三部作(天・地・水)」では、ピカソの「ゲルニカ」を意識したと本人が制作中に語っていたように、全体を抽象化して描く中で、鳥の姿や小舟などを配置した。
その後も、海や音楽などモチーフを変えて描き、次第に抽象度が増した。80歳近くで手がけた、画面全体が赤いシリーズでは、様々な色や形を塗っては拭き取る行為を繰り返すことによって、空間や時間、存在とは何かと問い続けた。
森智志学芸員は「尾花さんは、自身の内面にある原風景として、筑後平野の見えない存在にも踏み込んで描いた。対象は変わっても、存在を追求する姿勢は一貫していた」と解説する。
初期の作品から絶筆まで約100点を展示。7月7日まで。(白石知子)