「子どもたちを守らねば」新聞記者稼業39年で積み上げた取材ノートが保育士を目指す決断に
伝手を辿りに辿ってメンバーを探し当て、ようやく会えた複数の男性が結成の経緯を話してくれました。中国で生まれたから中国語しか話せない。中国では親が日本人という理由で「日本へ帰れ」と殴られた。日本に来てからは、日本の小学校で同級生に無視され、蹴られた。いじめのことは両親を心配させたくないから言えない。一体おれたちが何をしたっていうのか。同じ境遇の仲間で集団をつくり、暴れるしかなかった。 メンバーの1人は「怒羅権」の命名について、日本の「権」力への「怒」り、闘う意味もある修「羅」を組み合わせたと説明しました。「怒羅権」は各地にあり、込めた意味合いはグループによって異なるようです。 ■行き場のない環境がある 怒羅権の忘年会に何度か招かれました。 東京の中華料理店やスナックが会場です。いつも数十人が集まります。当方を新聞記者と知って警戒する人もいますが、そこは宴会の場、紹興酒や白酒が進むにつれて本音をぶつけ合います。 「警察は私たちを犯罪集団のように言うが、ワルい話を持ってくるのは日本のヤクザだよ」 だからって乗っちゃいけねえよ。取材するから詳しく聞かせて。 「若い子には正業を持てとうるさく言っている。まっとうな暮らしを支えてくれる日本人もいるんだ」 怪しい呂律で当方は「そうそうそう、涙そうそう」と繰り返した記憶があります。 取材メモを読み耽っていると、持ち帰った段ボール箱の片づけが一向に進みません。おいおい、おっさんよ、あんな事件があった、こんな取材をしたと振り返ってばかりでいいのかい。 確かに子どもを取り巻く社会には厄介な問題が山積みだ。わたしたちの人権は蔑ろにされ、ときに命まで奪われてきた。あんたはその時々に取材してなにがしかの記事を書いたんだろうが、それがどうした。ちいとは事態が好転したのかえ。そもそもわたしたちのことをどこまで知っているのか。