「子どもたちを守らねば」新聞記者稼業39年で積み上げた取材ノートが保育士を目指す決断に
新聞記者になって2年目の秋、高校の教室で生徒が猟銃を発砲する事件がありました。同級生を狙ったのです。一報を聞いて現場に急行し、取材に駆けずり回りました。 警察の調べはそれとして、当事者から話を聞かなければ真相に近づけません。狙われた生徒と会いました。ぽつりぽつりと語るなかで耳を疑ったのは、学校側から退学願を出すよう求められていたことでした。事件の背景がはっきりしない段階で被害者を排除しようというのか。学校関係者に理由を聞きましたが判然としません。 教育の専門家らの意見を交え、学校の対応を問う記事を連打しました。教育現場への不信が芽生えるきっかけとなりました。 東京都内に住む中国籍の10歳少女が行方不明となり、近県の川で数か月後に遺体で見つかる事件がありました。1993年のことです。事件性が濃厚ですが、真相はいまも不明です。太極拳を教える父親と暮らしていて、父親が仕事で外出中に行方がわからなくなりました。当方は自宅周辺で聞き込みを重ねましたが、父娘を知る人はまれでした。不慣れな異国で命を落とした少女の無念を思いました。 ■「怒羅権」との交流 警察が取り締まり対象とする「犯罪集団」に加入する若者たちの取材もしました。「怒羅権」と書いて「どらごん」と読みます。警察庁が2013年、暴力を用いて集団犯罪を繰り返しているとして新たな取り締まり対象にした「準暴力団」のひとつです。なんともこなれぬ用語です。 中国残留日本人孤児の2世らを中心に1988年ごろに結成されたといいます。日本の暴力団と結託して犯罪に関わる動きもあり、当方は実態の解明に努めました。指定した警察が、正体をぼんやりとしか把握できていなかったからです。 中国残留日本人孤児は、敗戦前後の混乱で中国に取り残され、中国人として育てられた日本人の子どもたちを指します。その人たちは中国で成長し、結婚し、子どもをなします。日本に帰国した際、連れてきた子どもの一部が「怒羅権」を結成したのです。