松任谷正隆「海外を知らずに一生を終える」と思っていた矢先、パリへ行くことに。そこで見かけた埃だらけのポルシェがなぜか気になり…「運命なんてそんなもの」
◆初めてのパリは何もかもが新鮮だった 初めてのパリは何もかもが新鮮だった。 フランス語なんてしゃべれないくせに、ひとりで地下鉄に乗り、そしてタクシーにも乗った。 多くのタクシーには助手席に犬が乗っており、最初はびっくりしたが、これが防犯のためだ、と聞いてちょっと納得した。もちろん日本に帰ってからすぐに真似た。あとはたばこのポイ捨ても真似た。つまり浮かれて、何でもかんでも真似をした、ということだ。今思えば情けない限りだ。 2か月というのは案外長く、撮影は案外暇で、僕のルーティンはなんとなく決まっていった。 朝、滞在していたアパートのそばのスーパーでパンとハムを買い、食べてからひとりで地下鉄に乗り、サンジェルマンデプレまで行き、ドゥマーゴのテラス席でお茶を飲みながら、パリウォッチングをする。ファッションやら、クルマやら。 それから目の前の大きなスポーツ店に寄り、買い物をするときもあれば、意味もなく歩き回ることもあった。
◆運命なんてそんなものだ 毎日のように通ううちに、同じ通りの同じ場所に駐車されているポルシェが気になるようになった。それは他のパリのクルマたち同様に埃だらけであり、無造作に片足を歩道に乗り上げて停まっていた。 それが停まっていないときは、どうしたのだろう、と気になるようになった。タルガ、という変わったモデルだったこともあって、威圧感が少なかったのだろう。僕はいつの間にかそのクルマを擬人化、いや自分自身を投影して見ていたような気もする。 撮影のことはあまりよく覚えていない。演出家にいくら演技指導されても、ちっともうまくできなかったし、ピアノを弾くシーンがあって、そのためにキャスティングをされたはずなのに、それもちっともうまく弾けなかった。 若い共演者やスタッフたちがずっと年上に見えた。いつも小さくなっている感じだ。なんだかあのクルマのように……。 2か月を終え、帰国して早々、知り合いの中古車屋から電話がかかってきた。安いポルシェがあるんだよ。買わないか? と。 興味本位だけで見に行って驚いた。パリにいたポルシェと色形まで全部一緒だったから。安いだけあってかなりのガタピシだったけれど、もちろんそれから一緒に暮らすことにした。 運命なんてそんなものだ。 ※本稿は、『車のある風景』 (JAF Mate Books)の一部を再編集したものです。
松任谷正隆
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