やりたくない仕事も「縁」と捉える人に訪れる良縁 私たちが誤解している「因縁」のポジティブな力とは?
「ご縁があったら、またお目にかかりたいですね」、「いい縁に恵まれてよかった」、「あの人とは縁がなかったと思ってあきらめよう」など、馴染みのある言葉ですね。 「因縁」というと、前世からの宿命のように感じ、「因縁の対決」「因縁の仲」「土地の因縁」など、あまりよい方向の言葉として使われませんが、本来はそうではありません。 因縁とは、ものごとを生む直接的な原因(内因)と、それを助ける間接的な原因(外縁)のことです。つまり、この世に存在するすべては、巡り巡ってつながりあっているということです。
たとえば、同じ会社に勤めていたことで知り合い、結婚したカップルは、たまたま偶然ではなく、社風に惹かれて同じ会社を選び、仕事ぶりだったり趣味だったりで意気投合する要素があったからこそ結ばれたのでしょう。それは、仏さまが導いてくださったご縁なのです。 そのときだからこその良縁 「やりたい仕事が巡ってきたのに、ちょっと規模が大きすぎて尻込みしてしまった」 「いい物件があったのに、数日迷っているうちに売れてしまった」
このような、経験は誰にでもあると思います。 「縁」とは、ときと場所、いろいろな巡りあいがあります。良縁にもなれば、悪縁になる場合もあります。これはチャンスだと思えば良縁です。 「ためらう者にチャンスなし」という格言もあるように、チャンスは一度のがしてしまうと次はなかなか巡ってきません。“そのときだからこその良縁”なのです。それが「ときの縁」です。 「どうだ、チャレンジしてみないか」と推してもらったときに、躊躇なく、他の何をおいてでも挑戦する。そして、それだけに集中して取り組むことです。
もし、「ときの縁」ではないと感じたなら断ります。いやいや無理をして進めてもうまくいきません。それはご縁がなかったということです。 ■縁を呼び込むために下地をつくる 「すばらしい縁なんて、めったに巡ってこない」と嘆いてはいけません。「ときの縁」を呼び込むために、常に下地をつくっておくのです。 前述のとおり、すべては巡り巡ってつながりあっているのですから、いつもそのことを考え、いつチャンスが巡ってきてもいいように努力をつづけることです。そんな人に仏さまはご縁を運んでくださるのです。
「善因善果、悪因悪果、自因自果」という言葉があります。 よい行いをしていればよい報いが得られ、悪い行いには悪い結果が起こる、そして自らの行いは自分に返ってくる、という意味です。 因縁とはそういうもの。胆に銘じたい言葉です。
枡野 俊明 :「禅の庭」庭園デザイナー、僧侶