日本柔道復活の裏に井上康生監督が進めた「勝利の改革」
柔道の全日本男子・井上康生監督は号泣した。 「選手を誇りに思う」 金メダルは、73kg級の大野と、90kg級のベイカーの2つだったが、男子は1964年の東京五輪以来となる全階級メダル獲得の偉業を成し遂げた。ソウル五輪以降、7階級になってからは初の快挙だ。日本柔道の象徴ともいえる最重量級の100kg超級では原沢が銀メダルに終わったが、6年間無敗の絶対王者、リメールを追い詰めて、会場からは逃げるリメールにブーイングが起きた。16年間、メダルから遠のいていた100kg級も羽賀がモチベーションを切らさず敗者復活戦から銅メダルを獲得した。 山下泰裕強化委員長は、大会の総括会見で「日本柔道が完全に復活したと、世界が見てる。これは亡くなった斉藤仁強化委員長、井上監督、共に頑張ったコーチや所属のコーチ、みんなの力がある。女子も、いろんな問題が起きた中、7階級で5階級でメダルを取り、南條監督もよく頑張ってくれた」と断言した。 日本男子柔道は確かに復活した。 この4年間、井上監督が推し進めてきた数々の改革が実を結んだ瞬間だった。勝利の改革である。 ロンドン五輪で史上初の金メダルなしの屈辱にまみれた日本男子柔道は、当初、篠原前監督の続投の方針でいた。だが、篠原前監督を推挙していた強化委員長の吉村氏が助成金の問題で体制から外れると、篠原氏が辞任の方向を固め、責任者がロス、ソウル五輪の95kg超級の金メダリスト、故・斉藤仁強化委員長に変わり、34歳だった井上監督に再建を託す方向性が決まった。 ロンドン五輪には強化コーチで参加していた井上監督は、2012年11月の就任会見で「いかにして組んで一本を取りに行く過程をつくるか。それを考える。そのためにスポーツ科学も利用する。どうすれば、効率よく勝てるか考えた上でトレーニングをして総合力で戦う」と所信表明をした。 井上監督は、その言葉通り、まず稽古の中身を見直した。量より質。体育会系のランニング、寝技、乱取りで汗を流すだけの練習内容を見直して、ボディビルの専門家を招き、筋力、持久力の科学的トレーニングを取り入れたのだ。また栄養学の専門家にも相談、トレーニング、食事、休養のバランスを考えてスケジュールを組んだ。また試合の対策も、今までのように、ただビデオを見てあれこれ策を練るだけでなく、対戦相手の傾向や選手、自らの長所、短所、フィジカルなどをデータ化して示した。 「世界の柔道に対応するためには、対戦相手のルーツを知ること」と、ブラリアン柔術、サンボ、モンゴル相撲、沖縄角力といわれる沖縄相撲まで選手に体験させた。ジョージアの躍進が民族格闘技の「チダバオ」にあるとも言われていて、まるで武士道の基本、敵を知ることから始めたのである。