【厩舎のカタチ】愛馬を育て〝愛弟子〟永島まなみを育てるということ ~高橋康之調教師~
週末のレースだけが競馬じゃない――。和田慎司記者が紡ぐ厩舎関係者たちの物語。その人が持つ哲学や背景を掘り下げ、ホースマンの実像を競馬ファンにお届けする。
【厩舎のカタチ/高橋康之調教師】
競馬サークルでは、調教師のことを「先生」と呼ぶ風習がある。調教師同士や騎手、厩務員など直接馬に触れる者も、われわれメディア関係者もそれは変わらない。 開業11年目の〝先生〟、高橋康之調教師にも、同じように「先生」と称する相手がいる。それは同じ空気を吸い、ともに勝利を目指すすべての馬たち。厳しさ、そして何事にも代えられぬ喜びを教えてくれる〝師〟。高橋師を追って厩舎を歩くと、何頭もの〝先生〟がスッと顔をのぞかせる。 「それでいて、学校のようでもありますよね。性格が違い、骨格が違い、動きが違う」 2014年に開業してからの10年あまりは、目まぐるしく過ぎた。必ずしも順風満帆でなくとも、「充実した一年一年」を積み重ねてきた。その中での大きな変化は、馬を通じての「経験と意識」。前者の一つとして浮かんだのが、精力的に調教に騎乗する馬上の師。馬のためはもちろん、視覚と感覚の誤差を馬が教授してくれる。 「例えば、緩さを感じたとしても力がないのか、柔らかいのか。自分の相馬が合っているのか、走りで総合的に確認して、意見も聞きながら長所と短所を見極めていきます」 師と同様に「経験」を重ねたスタッフと厩舎を前へと進めていくための「意識」も浸透を図り続けてきた。スタッフが馬と密にかかわることで理解し、共有して方向性を定める。ゆえに情報はしっかり欲しいと伝える。認識にズレが生じれば立ち止まり、次なる一歩を考察。一貫してきたスタンスだ。「それが今、ようやくマッチしてきたと思います」。自らが磨かれ厩舎が磨かれれば、馬も磨かれていく。 変わったのは、馬づくりだけではない。陣容が変わる中で、3名の女性スタッフ、そして永島まなみ騎手が所属した。 「能力、本人の気持ちから声をかけた3人が女性だっただけで、普通のことです」 普通は、騎手・技術調教師時代の渡欧経験に基づく。当たり前のように女性が馬に乗り、寄り添う世界に触れれば、性差の認識はすぐに霧散した。開業すると1人が2人、2人が3人に。厩舎全体、そして当人同士にとって、居心地の良さがつくり上げられていく。その環境に、競馬学校から打診があり永島騎手を迎え入れた。 かねて騎手を取りたいと考えていた師にとっての、初の弟子。一人の新人騎手を軌道に乗せるため、師匠は頭を下げ続けた。結果が何より求められる時代。実績を持たぬジョッキーに愛馬の背中を託す理解を得ることは、決してたやすいことではない。 「人生を預かった以上、ダメだったとしてもやれることはやる」 断られても、お願いしなければ始まらない。騎手時代の苦い経験が、師を突き動かした。2年目に300鞍以上あった年間騎乗数は、100を切り、50を切る。気づけば失地回復の機会さえもなくなった。「乗り鞍が減っていくむなしさ、〝なにやってるんだろう〟という気持ちにはさせない」。レースに向け思考できる状況に身を置き、結果をフィードバックすることで技術も頭脳もアップデートされ、そのサイクルが次への活力を生み出す。 21年、ルーキー・永島まなみがデビューした。初年度は師弟のコンビで71戦3勝(数字はすべて地方を含む)。厩舎の出走回数215の約3分の1、永島騎手の騎乗回数268の4分の1強を占める数字だ。翌22年はさらに増え、89回に及んだ。ところが…。ひとつも勝てなかった。 馬主、そして他の調教師にもお願いしておきながら、結果が伴わぬもどかしさ。だが、行動を起こさなければ始まらないのは、こちらも同じ。 「厩舎として、もっと頑張らないとアカン」 調教、カイバ、ケア。三本柱のすべてを細部にわたって見直し、繊細な馬に反動が出ないよう、徐々に徐々に変化を加えるとともに、効率的に入退厩や、頻繁なスタッフへの問いかけも図った。 「見つめなおせた期間」、その成果は早速表れた。23年は勝利数が4年ぶりに2桁に乗っただけでなく、中央17勝、地方込みで初の20勝超えとなる22勝。出走回数も初めて300の大台に到達し、キャリアハイを更新した。 連動するように23年は師弟で91戦12勝、今年は126戦6勝でも、代わりに上級クラスのレースを勝利。他厩舎から弟子が乞(こ)われる機会も格段に増えた、騎手としての確かな道程。そこにはありがたい〝悩み〟もついてくる。 「本当は、もっと乗ってもらいたいんですけどね(笑い)」