インドネシアで影絵芝居になった桃太郎(前編)
「日尼国交樹立65周年」「日本ASEAN友好協力50周年」の記念事業に
構想が徐々に具体的になる中、協力したいと名乗り出てくれる人が現れた。筆者とは既に10年来の友人だったキンタ・ヘラワン(Kinta Herawan)さんである。彼女はジョグジャカルタ州のZ世代の若者40名を率いてJMBN(Jaringan Masyarakat Budaya Nusantara/列島文化コミュニティネットワーク)という団体を立ち上げ、同地の伝統文化を継承・発信している(https://www.instagram.com/jmbn.indonesia/)。彼らも海外の団体、特にアニメや漫画を通じて触れる機会のある、日本の文化団体と一緒にプロジェクトを進めたいという思いがあったそうだ。こうして、筆者とJMBNが連携した国際プロジェクトが始まった。 まずは、JMBNの若者たちにこのプロジェクトのコンセプトを伝える必要がある。これまで絵画のプロジェクトを進めてきた相手はベテランのアーティスト達ばかりで、若い世代の人々が当方の意図を理解してくれるか不安ではあったが、筆者の拙い説明をキンタさんが補足してくれた。そして、現地の若者たちが「これは面白そう」「このプロジェクトに関われてよかった」と本当に楽しそうにしている姿を見て胸を打たれた。大人になってしばらく経つが、純粋な気持ちで「それは楽しそう!」と言えたのはいつが最後だろう、文化活動はやっぱり面白くないといけないという原点に立ち返ることができた。 続いて、彼らは、地元ジョグジャカルタ州で協力してくれそうな人を探し始めた。ほどなくして、州の元文化局長で、プロの人形遣い(ダラン)でもあるキ・ムブルス・エコ・スリョ(以降エコ氏)にコンタクトを取り、協力を要請した。エコ氏は人形遣いとしての役目を引き受けるだけでなく、人形作家やガムランチームを探してくれることになった。筆者からは、絵画のプロジェクトと同様に、物語の翻訳文と桃太郎の歌の音源を参考に渡した。もちろん、Googleで桃太郎の物語を調べないでほしい、というお願い付きだ。 思った以上に順調にことが運んだ。在インドネシア日本大使館からは日本インドネシア国交樹立65周年記念事業、日本アセアンセンターからは日本ASEAN友好協力50周年記念事業の肩書を貰い、会場もジョグジャカルタ州の5つ星ホテルで、日本の戦後賠償を財源に建設されたロイヤルアンバルクモホテルを利用することができることになった。 だが、現地の人々とのコミュニケーションは決して簡単ではなかった。若者たちは皆英語を理解するが、チームのチャットはすべてインドネシア語である。筆者は、インドネシア語は全くできなかったので、当初は翻訳アプリを使って内容を1語1語英語に翻訳し、必要に応じて英語をインドネシア語に翻訳して指示を出すこともあった。ただしばらくするとそれが煩わしくなり、仕事の合間を縫ってインドネシア語を勉強し始めて、イベントの直前にはチャットのやり取りは翻訳アプリを使わずに理解できるようになった。皆も時間がない中でこのプロジェクトに協力してくれている以上、自分もできるだけ彼らに寄り添いたいと思っていた。