神田うのが「恥ずかしくて顔を変えたい」と思った入院中の経験とは ヘルニアの痛さに「足切って!」
――現在49歳。振り返ってみて40代はどんな10年間でしたか? 30代は結婚や妊娠もして変化の年だったけど、40代は3度の流産や椎間板ヘルニアを発症するなど、しんどいと思うことも多かったです。私、これまで自分の人生でうまくいかなかったことってなかったんです。「運が強いから」って感じで大体何とかなっていて。それが40代に突入し、3回妊娠して3回とも流産となり、「えぇ? そんなことある?」って私自身信じられなかったです。 パパも娘も泣いたし、「人間の力だけではどうすることもできないことがあるんだ」と40代で学びました。でも、だからこそ娘は奇跡の子なんだって思うようになったし、子どもは全員可愛く感じます。あと、椎間板ヘルニアでは42歳にしてありとあらゆる介護のお世話になり、自分の無力さを痛感しました(笑)。 ■陰部洗浄、摘便、生理ケア…… ――椎間板ヘルニア発症時はどんな生活だったのでしょうか もうね、神経の痛みって本当に痛いんですよ。陣痛やお産のときよりもはるかに痛かったです。あまりに痛くて「足切って!」って泣き叫んでいました。しかもそのときは娘がバイオリンの演奏旅行でイタリアに行く2週間前で、「ママが行かないなら私も行かない」って泣き出すし、最初はすぐ治ると思っていたけど、結局1カ月半の入院生活。転院して手術もして、畳1畳分のスペースでずっと寝たきり生活でした。入院中はあまりの痛みで寝返りすら打てないので介護を受けていたのですが、恥ずかしくて、悔しくて、「顔を変えたい」って何度も思いました(笑)。 自分が世間に顔を知られていなければ、ここまで恥ずかしくなかったと思うのですが、何もかもをさらけ出したうえで、陰部を洗浄されたり、便を出すための摘便も経験したりして(笑)。もちろん生理のケアも全部やってもらうのですが、恥ずかしいを通り越した境地に至ると同時に、本当に病院の先生、看護師、介護士の方々はすごいと心から思いました。人間何もできなくなったらお世話になるしかないんだなって。でも、この経験があったからこそ健康のありがたさに気づくことができました。