「北橋日記」前北九州市長の戦い ~工藤会VS市民2760日の記録~ 【前編】“最凶”暴力団が支配する暗黒の時代
企業誘致に立ちはだかる“黒い壁”
「皆さま方の温かいお力添えの賜物でございます。ありがとうございました」。北橋さんが北九州市長に初当選したのは2007年2月。53歳の時だった。それまで5期20年に渡り、北九州市長を務めた末吉興一氏の引退を受けて行われた北九州市長選挙。三つ巴となった選挙戦を制したのが、元衆議院議員の北橋さんだった。初登庁の朝、市役所玄関に出迎えた約300人の職員を前に「いろいろ課題がありますし、天気晴朗なれど波高し。そんな気持ちです」と挨拶した。 当時、北九州市が抱えていた課題を北橋さんは振り返る。「鉄冷え、金融危機、リーマンショックへと続く不況の波に襲われて、北九州の経済、雇用状況というのは大変、厳しいものが1期目着任当時からありまして、いかにして企業の投資を増やすかが、最大級のテーマであったと思います。それだけにそれに水を差す、企業の投資が逃げていく、暴力と云う問題は『待ったなし』の解決すべき課題と認識しておりました」。 北橋さんが市長になった2007年、北九州の街では野村悟被告が当時、会長を務めていた「四代目工藤会」の犯行とみられる民間企業などを狙った発砲事件が続発していた。その年、北九州地区で発生した発砲事件は、8件を数えるほどだった。 「企業誘致」を重点目標としていた北九州市にとってこの問題は大きな障害となっていた。 北橋さんは、2008年の年始め、日記にこう記している。 ■北橋日記(2008年1月22日)「福岡県警察本部首脳陣と本市の連絡会議。昨年の発砲事件で暴力の街という不名誉な印象を持たれ、残念に思う」 当時の北九州市の状況について元福岡県警の藪正孝氏は「工藤会は、福岡の指定暴力団の道仁会、太州会と『三社会』という連合体みたいなものを当時、つくっていた。それぞれの縄張りには手出ししない。お互い仲良くやっていきましょうと。太州会、道仁会は、工藤会の利権に手を出すことは100%ない。山口組とも五代目当時に取り決めがあって、山口組も北九州には手を出さない」 「よそが入ってこないわけですから、工藤会は自分の利益にだけ力を入れておけばいい。北九州市で襲撃事件が多発したのは、工藤会の意に沿わない事業者や市民が出てきたから。工藤会は他の暴力団を気にする必要がないから、それを叩こうとした」と語る。 北橋さんの日記には、街の暗い現実が記され続けた。 ■北橋日記(2008年4月8日)「未明に八幡で銃器発砲事件。残念な事件だ。昨年12月に続いて、同じ家に2回目の発砲。安全安心を求める市民とともに捜査の進展を切に願う」 ■北橋日記(2008年8月22日)「銃器発砲事件が八幡西区で昨晩発生。被害者は暴力団幹部。犯人逮捕に当局は頑張ってほしい」