名づけ親のアントニオ猪木から「愛のビンタ」も…演歌歌手・森山愛子「不合格でいいのに」でスタートした歌手人生も20年目に
実は、ビンタは1回で終わりではありませんでした(笑)。その半年後にお世話になっている方を招いて行ったパーティにも来てくださり、そこでも気合をいれるためにビンタをしてくださいました。「出世払いな」と言われて「はい!」と答えました。猪木さんの期待に応えるためにも頑張らないと!と気合が入りましたね。 その後も交流は続いていましたが、最後に会ったのは2021年の猪木さんが亡くなる前年。偶然、新幹線でお会いしました。コロナ禍だったのであまりお話はできなかったのですが、新幹線を降りようとされている猪木さんにご挨拶をしたら「マスクしてたから気づかなかったよ~(笑)」と言われました。あれが最後になってしまったので、あのとき声をかけてよかったと思っています。
■歌うことで福祉にも貢献できる ── 上京して3年9か月を経て、めでたく歌手デビューされました。歌手の道か、福祉の道に進もうか悩んだことがあったそうですね。 森山さん:すごく悩みました。大好きな祖母が福祉関連の施設で働いていたので、福祉は私にとって身近なものでした。また、小さいころに日本舞踊を習っていたので、それを披露しに老人ホームに慰問に行ったことがあったんです。そのとき、私の歌を聴いていた方が感動のあまり突然泣きだして…。その体験に衝撃を受けたのと同時に、高齢の方に喜んでもらえる仕事に魅力を感じました。
高校進学のときには、迷わず福祉の道へ。授業で介護の実習なども行い、介護の資格は高校卒業時にホームヘルパー1級(現・訪問介護員1級養成課程)、卒業後に介護福祉士の資格を取りました。 ── 演歌歌手の道を選んだきっかけは何だったんでしょうか? 森山さん:実は福祉と歌、どちらの道に進もうか悩んでいるときに水森先生に「歌は福祉の現場をはじめ、さまざまな人に届けることができる。介護の現場で働くことだけでなく、歌うことも福祉に繋がる」と言われたんです。