名づけ親のアントニオ猪木から「愛のビンタ」も…演歌歌手・森山愛子「不合格でいいのに」でスタートした歌手人生も20年目に
とはいえ、歌は楽しかったので、辞めたいと思ったことはありません。上京してからは「家族や先生に迷惑かけないように自立しなければ」というプレッシャーも大きかったです。いっしょにレッスンを受けていた人にはデビューできずに辞めていった子もいたので、自分はデビューできるのだろうかと不安になったこともありました。ありがたいことに、その後オーディションに合格して19歳でデビューすることができました。
■ビンタを受けた衝撃のデビューイベント ── 森山さんのデビューの様子はメディアにも大きく取り上げられました。森山さんの芸名の名づけ親になったのは、アントニオ猪木さんだそうですね。 森山さん:そうです。社会勉強のために半年ほど猪木さんの事務所でアルバイトをしていました。敬語の使い方や挨拶のしかた、言葉づかいのような礼儀作法や電話の出方など、さまざまなことを教えていただきました。 猪木さんはいつも事務所にいるわけではありませんが、社員研修でパラオに行ったときにご一緒させていただきました。プロレスラーということで実は少し怖いイメージがあったのですが、会ってみたらすごく穏やかで、優しい方でした。場の空気をなごませるのがお上手で、パラオでもいっしょに海やカラオケに行って楽しく過ごさせていただきました。
そんな縁もあって、デビュー曲が決まった後に、「森や山など自然を愛する子」という意味を込めて、森山愛子という芸名をつけていただきました。自然豊かな土地で育った私にぴったりの名前だと思い、すごくうれしかったですね。 ── デビューイベントでは猪木さんからビンタもいただいたとか…? 森山さん:当時の新宿スタジオアルタ前広場(ステーションスクエア)で行われたCDデビューイベントに、ゲストで猪木さんが来てくれたんです。当初、私はビンタを受ける予定ではなく、スタッフの男性が猪木さんにビンタをされて終わるはずでした。でも本番になってみたら突然、猪木さんに「お腹に力を入れて!」と言われて(笑)。これはもうやるしかないと覚悟を決めたら、パーンってビンタが飛んできたんです。すごい衝撃でしたが、おかげでデビューイベントは大盛り上がり。翌日に新聞やワイドショーにもたくさん取り上げてもらえたので、それを見越した愛のあるビンタだったんだと思います。