東アジア情勢の流動化に考えるインドの地政学的な位置
インドと中国がユーラシアの文化圏を分ける
インドと中国は、どちらも人口大国で、日本にも大きな影響があるのだが、その文化は大きく異なる。僕の専門である建築の視点から比較してみたい。 建築様式には風土様式・宗教様式・近代様式の三様態があり、それぞれ文化の基層・深層・表層を表していることは前に述べた。*2 風土様式=基層文化と近代様式=表層文化について論じれば煩瑣となるので、ここでは宗教様式=深層文化に限定する。 インドと中国では、これがまったく異なるのだ。というより、ユーラシアの、いや世界の宗教様式が、この二つの国で分かれているといっていい。北インドの宗教様式はイスラム様式に近く(ほとんどはムガール帝国時代のイスラム寺院)、南インドの様式は東南アジアのヒンズー・仏教(南伝上座部)様式に近い。イスラム文化は地中海を中心としてヨーロッパ文化と切り離せない。また東南アジアの文化も、中国よりインドに近い。つまりインドの文化は、ヨーロッパから地中海、イスラム世界と、東南アジアを結ぶ、ユーラシアの「大きな文化圏」の一部なのだ。その数学的貢献については前に書いた。*3 これに対して、中国、朝鮮半島、日本の宗教様式は、木造軸組様式を基本として「小さな文化圏」をなしている。 大きな文化圏は石造宗教様式とアルファベット系の文字を基本とし、小さな文化圏は木造宗教様式と漢字系の文字を基本とする。 つまりインドと中国は国境を接する国であるにもかかわらず、文化的には、ヒマラヤ山脈によって大きく隔てられているのだ。この山脈(=障壁の山)は、西の地中海(=交流の海)とともに、世界の文化構造を決定づけたといえる。もちろん交流がなかったわけではない。シルクロードとは、ペルシャおよびそれに連なるギリシャ、インドと、中国およびそれに連なる朝鮮半島、日本を結ぶ文化交流の細い帯であった。 このように日本人は、ユーラシアの小さな文化圏の東端にあって、常にその反対側にあるインドという大きな文化圏のひとつに、お釈迦様の国として、あるいは文化的深淵として、ある種不思議な憧憬を抱いてきた。