東アジア情勢の流動化に考えるインドの地政学的な位置
大いなる混沌
第3期は英領時代(1858~1947)である。 ムガール帝国が滅亡し、インドは完全に大英帝国の一部となる。この時期の日本は、文明開化によって列強の一角に食い込み、アジア各地に進出するが、太平洋戦争に大敗する。維新への援助もあって、初めはイギリスに倣い、やがて同盟し、ついに敵対したのだ。インドとの関係もそれと平行して進むが、英国と敵対した太平洋戦争期には、インドの独立運動家であるスバス・チャンドラ・ボースを支援した。そして逆に戦後の東京裁判においては、インドのパール判事が、ただひとり日本を支持し全員無罪を主張した。孤立を怖れず法理論的な正当性を訴えたのは、長期にわたる西欧の世界支配に抵抗するシンパシーがあったからでもあろう。 安倍首相がことさらにインドを重要視するのは、A級戦犯として逮捕された祖父(岸信介)のこともあって、その恩義を感じているからかもしれない。現実は案外、そういった因縁の文化力学に動かされるものだ。 第4期は独立時代(1947~1990)である。 独立から冷戦が終わるまでの時期だ。焼け野原であった日本は、躍進を続けてアメリカに迫る経済大国となった。一方、マハトマ・ガンジーらの努力によってようやく独立を遂げたインドだが、パキスタンとの紛争などもあり、経済的には低迷を続けた。 この時期、『インドで考えたこと』の堀田善衛をはじめ、『何でも見てやろう』の小田実も、『印度放浪』の藤原新也も、『インドでわしも考えた』の椎名誠も、『深夜特急』の沢木耕太郎も、インドを訪れた日本人はそのむき出しの貧困に驚きながら同時に、その奥深い精神性に感じいって思索を深めている。 そこにあるのは生身の人間存在そのものであり、当時の日本が追いかけていた進歩、発展、富裕といった価値観を超えた「大いなる混沌」であった。建築家のル・コルビュジエも、音楽家のビートルズも、画家の横尾忠則も、インドを訪れてから作風が変化した。あの安藤忠雄もインド体験を一つの原点としている。西欧から広がった近代文明とは対極の文化的深淵に対する精神的共鳴といっていい。 日本の政治家で、この頃のインドをバカにした発言があったが、経済的価値だけを信じた傲慢というものだ。 第5期は経済発展時代(1990~)である。 冷戦構造の終焉以後、バブルがはじけて低迷した日本とは逆に、経済成長が軌道に乗ったインドのGDPは右肩上がりを続けてきた。中国のように劇的ではなかったものの、2008年の世界金融危機(リーマン・ショック)以後も堅調に推移し、中産階級の拡大が続いている。そこには、自動車メーカーのスズキなど日本企業も大きな役割を果たしてきた。 しかし経済発展と同時に、インドの文化がその多様性を失いつつあることにも留意する必要がある。現在でもヒンディー語のほかにも21の公式言語があるのだが、すでに近代化とともに膨大な数の言語が消滅し、膨大な数の種族文化が消滅している。文化人類学者はインドの近代化を嘆いているのだ。