パリ協定は無謀? グレタさん「怒りの演説」への真剣な回答
人類と文明こそが“地球環境の敵”
まずは「目標が厳しいことは良いことだ」という考え方を止めるべきだ。本当に地球環境をサステイナブルに留められる「ギリギリのライン」はどこなのかを、もう一度現実的に検討してみるべきだろう。それは負債を抱えた会社が、取引先を回って債権の縮小をお願いするのと同じで、ベストな策とは言えない。本当は全部返すべきだけれど、それだと力尽きて1円も返せなくなる。だから申し訳ないが、取引先に妥協をお願いして回る。環境問題も同じだ。人口の9割を殺すような政策はどう考えても不可能だし、モラルの限界を超えている。だったら望ましくなくても“債権を縮小してもらう”しかない。限界ギリギリはどこなのか? 目標値が決まったら、可能な限り早急に人口を抑制するための次善の策として、たとえば出産に重税をかける。あるいはそれに加えて、男女問わず避妊手術を推奨して当該国で年収の数倍くらいの補償金を払う。 その財源は、全エネルギー産業への重課税で賄う。つまり、残念ながら産業革命前の大気レベルにまでCO2を削減するには、人類と文明こそが地球環境の敵であり、全世界の少子化こそが地球救済への唯一のソリューションだと認める他にないのではないか。地球環境を人間が豊かに生きる権利よりも上位の概念とみなすなら、相当な無茶を承知で、急速な人口減少を後押しするしかない。それは想定する人口の上限数に達するまで、ずっと続く。 パリ協定の2050年目標値は、そのくらいインモラルなことを実行しなければ実現できないハードルの高い内容だということを理解する必要があるだろう。 グレタさんが求める「事態の緊急性に鑑みて、行動を起こす」ということは、さまざまなデータをもとに検討すれば、これほど痛烈な痛みを伴うものである。事態の厳しさに鑑みれば、世界の為政者や産業界を十把一絡げに何の努力もしていないと切り捨てる物言いには疑問を感じる。先に日本の例で述べたように、現在は足下の2030年の目標値達成に向け、官民を挙げて全力で取り組んでいるはずだ。それを物足りないと思うのは、正義の多面性を知らない幼さだと思う。