ハリー・ポッター、グーグル検索、GUI…革新的なアイデアは、なぜ最初は無視されてしまうのか?
1970年代後半に、事務機器大手、ゼロックス社の研究開発施設の一つであるパロアルト研究所(PARC)が、グラフィカル・ユーザー・インターフェース(画面上にアイコンが表示され、それをマウスで選択してパソコンに指示を与える方式)を採用したパソコンを初めて設計したとき、ゼロックス社の経営陣はこの発明品にあまり興味を示さなかった。 プロジェクトの商業化に向けてすぐに動き出し、それを武器に新たなパソコン市場で優位に立とうとするのではなく、単なる変わり種として扱ったのだ。それを社外の集団に対し、詳しく実演して見せたりもした。それを見た一人である、若き日のスティーブ・ジョブズが、その後、この重要なイノベーションをアップルの初代コンピューターに応用したのだった。事務機器業界での経験が、最新パソコンの驚くべき潜在力を見誤らせたのである。 しかし、ゼロックス社のために一言弁じておこう。同社は一世代前の技術的ブレークスルーについては、すばらしい先見の明を発揮していた。1940年代に、物理学者で弁理士のチェスター・カールソンが写真式複写機を発明したとき、GE社やIBM社など、多数の大手事務機器メーカーがそのアイデアの商品化を断る中で、ゼロックス社だけがその潜在力を見抜いたのだった。GE社やIBM社などではビジネステクノロジー分野での経験が、写真式複写機の驚くべき潜在力を見誤らせたのである。 ゼロックス社のケースは、過去に画期的技術の価値を見抜いた経験があるからといって、また別の画期的技術が現れたときに、その価値を見抜く能力が備わっているとは限らない、ということも示唆している。このケースでは、グラフィカル・ユーザー・インターフェースを採用したパソコンを発表したのはゼロックス社ではなく、この技術を開拓したのがゼロックス社だった。
そのようなわけで、創造性というものは、学習が成立しにくい(つまり学習になじまない)。ある分野で経験を積んでも、新たなアイデアの潜在力を見抜く能力が身につくわけではない。また、どんな分野であれイノベーションが起きると、過去に学んだ教訓を真っ向から否定するような変化が生じ、経験はもはや当てにならなくなる。 しかし、問題は、過去と未来のギャップゆえに、経験を重ねても先見性は磨かれないということだけではない。もう一つの問題は、アイデアが生まれるまでの詳しい経緯が抜け落ちることで、革新的アイデアが実際に生まれるまでの機序が、ますます謎めいたものに見えてくるということだ。 具体的にどのようなプロセスを経て、あるアイデアが大ヒットするに至ったのかという背景が、そのアイデアを消費する側の経験から決定的に欠落していく。「一夜にしての成功」が伝説となり、それまで何か月あるいは何年にもわたって、複数の人々が労を惜しまずに協力し、試行錯誤を重ねてきた事実が、その陰に隠れて見えなくなっていく。 その結果、新しいアイデアの創出やイノベーションの企図・実現のプロセスが、見かけ以上に複雑で予測しがたいものであることが十分に理解されなくなってしまう。それがひいては、学校、職場、社会生活において、イノベーションの実現に向けたプロセス設計に悪影響を及ぼし、私たちの創造性の芽を摘(つみ)取ってしまうおそれがある。 私たちは、アイデアの価値を見抜くのはうまくないが、アイデアを生み出すのはそれほど下手ではない。それまでの経験があの手この手で、機会発見やアイデア創出の邪魔をしてくることに気づけば、その罠にはまるのではなく、むしろその力をうまく利用する方法を工夫できるようになる。
エムレ・ソイヤー/ロビン・M・ホガース