劇的王座奪回!村田諒太が紡いだエディオンアリーナ大阪の“奇跡”
12月。村田が本田会長に再起の意志を伝えたとき色よい返事はなかった。 「受け入れられないですよ。急に1試合で変わることは考えられない」 だが、村田の天賦の才能とポテンシャルにかけた。 トレーナーにホルヘ・リナレスの弟のカルロスを加え、ブラントを想定したスパーリングパートナーは4人も呼んだ。村田はまず重心を下げ、突っ立った状態にならないバランスのいいフォーム修正に取り掛かり、それに耐えうる下半身を作った。ジャブ、ワンツー、左ボディしかなかった攻撃パターンに左フック、右のアッパー、右ボディを加えた。試合では打てなかったコンビネーションブローを磨く。「誰も妥協しない。完璧な準備をした」と本田会長。その間、6階級王者、マニー・パッキャオ(フィリピン)を破った元WBO世界ウェルター級王者のジェフ・ホーン(豪州)との再起戦が浮上、6月にニューヨークでゲンナジー・ゴロフキン(カザフスタン)の再起戦の相手になる話まであった。結果的に共同プロモートを頼んでいるトップランク社のボブ・アラム氏に全面的に協力してもらい、ブラントとの再戦が決定した。9か月のブランクは不安要素だったが、「あれに勝たないとどうしようもない」と本田会長が決意した。 「彼は五輪で金メダルまで取った自分のボクシングに自信を持ちスタイルを変えようとしなかった。だが負けたから変えたんだ。聞く耳をもって変えたのは凄い。器用だからね。それをまたリングでやったというのがね」 村田は南京都高校時代の亡くなった恩師、武元前川氏から「負けて痛みを知れ」と教えられてきた。アマチュア時代に計8度ほど負けているが、再戦で同じ相手に敗れたことはない。それは成長や進化という言葉に置き換えられる。 「試合前の記者会見で、結果が、その成長を肯定してくれると言った。じゃあ、今結果が出たから自分が成長したか、と言えばそうではない。形式上、肯定しやすい要素ができただけ。人間的成長は結果によって変わらない」 村田は小難しいことを言ったが、「一度、負けて強くなる」ーー。それが村田なのだ。