劇的王座奪回!村田諒太が紡いだエディオンアリーナ大阪の“奇跡”
9か月ぶりに返ってきたベルトを腰に巻いた。 でも、それはブラントの借り物。 「取られた気持ちわかるから。これを(自分のもののように)扱うのはよくないなあ」 善き人は、そう言った。 次のことを聞かれて村田は、「今までの感覚とちょっと違う。(これまでは)ゴロフキンや東京ドームの話をしていたけれど、それは個人のこと。今は(先のことを)言いたくないです」と笑いでごまかした。ただ「次にバトンを渡せる選手(世界王者)が帝拳に出てくるまで頑張りたい」と言った。 前回のラスベガスのV2戦では「勝てば東京ドームでゴロフキン戦」の絵を描いて幻に終わる苦い経験があり、本田会長も、この試合の後は何も計画していなかった。 「この試合がどう評価されるか。超一流が世界に何人かいる。(村田を)選んでくれれば最高。ゴロフキンやカネロとの可能性もね。村田もそれを望んでいる。ただの防衛戦はしない」 インパクトのあるTKO世界奪還で、再び村田が統一王者のサウル“カネロ”アルバレス(メキシコ)を頂点に、王座返り咲きを狙うゴロフキンらが集う群雄割拠のミドル級戦線に殴り込みをかけるパスポートを手にした。もちろんそれが村田の望む次なるステージである。 感動の余韻が冷めやらぬ、この夜に「村田諒太後援会」が会場近くのダーツバーを貸し切って祝勝会を開いた。日付が変わった頃に村田はジャージ姿のまま駆け付けて100人を超す人々に感謝の言葉を伝え、短い時間の滞在だったが一人一人と笑顔で写真撮影に応じた。感動の涙を共有した南京都高ボクシング部のOBの方々がたくさんいた。村田は、そこで恩師の話をした。 「まだ武元先生のお墓参りはしていません。再起を決めたときも行けなかったんです。きっと“もう辞めときな”と言われるような気がして。“武”はいつも近くにいてくれます。存在を感じています。事後報告になりますが、ベルトを持って挨拶にいきたいと思います」 武元氏は、高校時代に「苦しくなったら前へ出よ」と村田に教えた。 ブラントを撃破した戦いで前へ出続けた村田の傍には、きっと武元氏がいて、またその言葉を聞き取りにくい活舌で囁くように語っていたのかもしれない。村田は「先生すみません。もう少しだけボクシングをします」と墓前に報告するのだろう。 真夜中の難波のアーケード街を歩きながら、ふと思い出した。ボクシングの記者席の辺りを25年以上もウロウロしながら不覚にも涙が流れたのは1997年に辰吉丈一郎がWBC世界バンタム級王者に返り咲いたシリモンコン・ナコントンパークビュー戦以来だったと。あの試合も“奇跡”だった。でも辰吉の試合も村田の試合も理由と物語のある“熱い奇跡”だった。 (文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)