歌旅 いしだあゆみ 「ブルー・ライト・ヨコハマ」の喚起力 中西康夫
訪れたのは1927年創業の馬車道「勝烈庵」。外国人コックがもたらした「カツレツ」を、初代庵主が工夫を重ねて作り上げたものだ。勝烈庵は芸術や自然にも傾倒していて、棟方志功と交流があって店内には多くの作品が展示されているし、お箸は熊野古道の杉の間伐材などを使用している。そんな多くのこだわりを持つこの店の一番の売りはソースだ。野菜や果物を丁寧に2日間煮込み、1日寝かせて完成させたもの。ソースの美味(おい)しさは他に類をみないもので、私は毎回、カツレツに行く前に、ソースだけでキャベツを平らげてしまう(キャベツとご飯はおかわり自由)。 キャベツでお腹を落ち着かせた後、カツレツの登場だ。ソースをたっぷりとかけ、カラシを少し乗せていただく。このソースの味わいは、日本のトンカツとは違う異国を感じさせてくれる。世界に認められた棟方志功の板画(志功は一貫して木版の特性を活(い)かした作品作りをしていたため、版画ではなく板画)に囲まれながら食す「カツレツ」は、開港後、異なる多様な文化を受け入れ、新たなものを生み出してきたヨコハマだからこそ完成された芸術作品だと言えるだろう。 ◇ヨコハマは恋人たちの聖地になった 満たされたお腹で、再び夜の山下公園へ。 中華街やカツレツなどの食を一瞬で忘れてしまう。テレビのチャンネルを変えて、ドラマのロマンチックな場面に入り込んだような気分だ。そして、自分は歌の中にいるという錯覚に陥った。立って眺めるのではなく、歩きたくなる。港には大きな船が何隻も停泊しているが、小舟は一艘も見当たらない。 なぜ歌詞に「小舟」が出てくるのか。そう、小舟は女性の揺れる女心そのものなのだ。山下公園を歩く恋人たちが小舟に見えてくる。 父は、筒美京平が亡くなったとき、こう言った。 「『ブルー・ライト・ヨコハマ』はいしだあゆみの半拍遅れたような歌い方が新鮮で、それが男女の揺れる関係を暗示してもいたんだけど、京平ちゃんの曲自体に、揺れとタメが含み込まれてるんだよね。それが彼の天才だよ」