ルイーズ・ブルジョワ展が森美術館で開幕。自身の痛みや感情と徹底的に対峙し、表現し続けたアーティストの大規模個展をレポート
女性を守り、縛りつけもする「家」
本展ではメインの3章とは別に、コラムというかたちで近年世界的に評価が高まっている初期の絵画作品にも焦点を当てている。 ブルジョワは1938年にアメリカ人美術史家のロバート・ゴールドウォーターとの結婚を機にニューヨークに移住した。ニューヨークでの最初の約10年間に制作された絵画と彫刻を紹介するコラム1「堕ちた女」では、家と女性が一体になった「ファム・メゾン(女・家)」シリーズの絵画を展示。 女性を守るものであり、縛るものである「家」によって女性の身体が覆い隠された姿を描くこのシリーズは、当初別のタイトルで発表されたが、1960年代後半からのフェミニズム運動のなかで女性解放運動のアイコンとなり、現在のタイトルに改題された。 このセクションでは、フランスに残してきた家族や友人などをモデルにした彫刻の「人物像」も紹介されており、アーティストであり、娘、妻、母という複数の役割をこなしていたブルジョワ自身を表現した《荷を担う女》なども展示されている。また大きなガラス窓から東京の街が一望できる展示室には、金色の彫刻《ヒステリーのアーチ》を展示。これはブルジョワの男性アシスタントをモデルにした作品で、かつて女性特有のものだとされた「ヒステリー」に対する固定観念に疑問を投げかける。
父への愛憎、否定的な感情を作品に昇華させる
ブルジョワは1951年に父を亡くした後、10年以上にわたって精神分析を行い、自身のトラウマや過去の記憶をもとに作られた作品の多くが父親に対する否定的な感情から生まれたものであったと気づく。 第2章「地獄から帰ってきたところ」では、不安や嫉妬、敵意や殺意、拒絶への不安など、心の内にある様々な葛藤や否定的な感情、そして父との確執などが作品を通して語られる。展示室には、糸巻きにつながった針が刺さった心臓の彫刻《心臓》、人間の頭部を象った《拒絶》など、ブルジョワ自身の苦しみが見る者をも突き刺すような強烈な作品群が並ぶ。 赤い布でできた頭部像が舌を出し、金網の中に置かれている《部屋X(肖像画)》は、拒絶するとともにつながりたいとも希求する相反した切実な想いが、血や痛み、暴力、恥などを想起する赤色によってさらに強い感情を持って伝えられる。大きな防火壁に囲まれた《罪人2番》は、小さな椅子と鏡、そして壁に刺さった矢が子供の「お仕置き部屋」のような圧迫感のある空間を形作っている。 さらにこの章で強い印象を与えるのが、暖炉のように壁に埋め込まれたインスタレーション《父の破壊》だ。演劇のセットのように内臓や肉片のようなものが置かれた食卓が赤く照らされているが、これは支配的な父に耐えきれず、娘と妻が父を殺して食べる、という幻想がもとになっており、ここでも父を憎んで殺しながらも、食べることで父と一体化するというブルジョワの複雑な心情が表されている。 「怒りや苛立ちを作品で表現できなければ、その矛先を家族に向けてしまう」(作品キャプションより)と自身が語っていたように、創作を通して、内側から湧き上がる敵意や嫉妬、殺意といった思いを作品に昇華していたブルジョワ。女性のマネキンが巨大な塊によっていまにも轢かれそうな《シュレッダー》からはその引き裂かれるような感情が痛切に伝わってくる。第2章は展覧会タイトルのもとになった刺繍作品《無題(地獄から帰ってきたところ)》で締めくくられるが、「I have been to hell and back. And let me tell you it was wonderful.」というテキストを縫い付けられたこの布は、ブルジョワの亡くなった夫が使っていたハンカチだ。 続く「無意識の風景」と題されたコラムのセクションでは、1960年代の彫刻を紹介。父の死後、精神分析に専念し、創作活動が休止状態だった時期から徐々に抜け出し、本格的に作品制作を再開した時期の作品群だ。樹脂や石膏、ラテックスといった柔らかい素材で、抽象的なフォルムを形作る彫刻が並ぶ。