「打席に入るのが嫌になっていた」ロッテの“アジャ”井上晴哉が明かす「引退を決めたある出来事」「心残りはもう一度アジャコングさんと…」
「4番デビュー」の重圧
「4番になるとは思っていなかった。多分、開幕前日練習で言われた。まだ開幕前のたかだが練習日なのにめちゃくちゃ緊張していて、なにも覚えていない。初めてプレーをする球場。オープン戦でもやっていない場所だったので。オープン戦でも4番だったけど、まさかと思った」 当時、指揮を執っていた伊東勤監督に伝えられても、スタメン表を自分の目で見るまでは信じられなかった。開幕戦当日、「4番指名打者・井上」の文字をその目で見た。3番は井口(資仁)。チームの看板選手の後にドラフト5位ルーキーが名を連ねた。その衝撃は想像を絶するものだ。 自分が自分ではないような緊張感に襲われた。プロ1打席目は初回、いきなりチャンスで巡ってくる。大先輩の井口が左越え二塁打で1点を先制してなお1死二塁のチャンス。重圧のかかる酷な場面だった。 「やべえ。これはなんとしても打たないといけないと思って力んだ。今思うと、それが負の連鎖の始まりだった」
声をかけてくれた大先輩
結果は三ゴロ。この試合、4打数ノーヒットに終わると翌日も4番DHで3打数無安打。3試合目にスタメンから名前が消えた。チームも開幕3連敗を喫した。 4番で起用してもらったのに結果を出すことができなかった自分のせいで負けたと気持ちは落ちた。そんな、ふさぎ込みそうになった時に声をかけてくれた先輩がいた。 「落ち込んでいる時に井口さんから『開幕は誰でも緊張する。オレも緊張したよ』と話しかけてもらった。え、そうなの? と思った。あれがあったから、その後は緊張した場面でも誰でも緊張していると思えるようになった。打っている自分もそうだし、投げている投手もそう。守っている野手もそう。それが分かったから落ち着けていけるようになった」 辛い思い出はその後の活躍のキッカケとなった。一軍で601試合に出場して76本塁打、313打点、486安打。原点は開幕カードで味わった悔しさだった。
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