「打席に入るのが嫌になっていた」ロッテの“アジャ”井上晴哉が明かす「引退を決めたある出来事」「心残りはもう一度アジャコングさんと…」
大谷翔平との対戦
もう一つ、忘れられないのが2016年3月25日、本拠地であるQVCマリンフィールド(当時)でファイターズを迎えて行われた開幕戦である。相手先発は現在はドジャースで活躍をする大谷翔平。前年の15年は15勝5敗で防御率2.24。日本を代表する押しも押されもせぬエース投手としてマウンドに立ちはだかった。 井上は開幕を6番ファーストで迎えていた。午後6時30分試合開始のナイターで、まだ夜は肌寒い時期。プロ3年目となった井上はもう、過度に緊張することはなかった。寒さも気にならなかった。すべて条件は一緒。相手も同じ気持ちだと考えた。 初回、相手の攻撃を無失点に切り抜けると、その裏、4番のアルフレド・デスパイネの中前適時打で1点を先制。さらにチャンスは広がり2死一、二塁で井上の打席を迎えた。ルーキーイヤーの開幕戦と同じく1点を先制してなおチャンスという場面だった。今度は戸惑いも、迷いもなかった。フォークを捉えると打球はレフト線を抜ける二塁打となった。 「たまたま当たったけど、思いっきり振れたのがよかった。1年目の経験があったから打てた一打。誰もが緊張していると思ったから。今でも忘れられないくらい嬉しかった。なにも出来なかった1年目の悔しさが生きた」 井上は当時を振り返り、目を輝かせる。
覚醒のとき
2018年には覚醒の時を迎える。133試合に出場し24本塁打、99打点。翌19年は129試合に出場して24本塁打、65打点。球団の日本人選手では、初芝清氏以来となる2年連続20本塁打以上を達成した(初芝氏は98年から00年の3年連続)。 しかし、その後に待っていたのは故障の日々。 「手首を手術してから感覚がずれてしまったのは間違いない。あと膝。今まで膝を痛くしたことなんて一度もなかったのに、膝が痛くなった。定期的に注射を打って試合に出ないとダメな状態だった」 引退を決めたのは自分の心と冷静に向き合った時だ。「バットを握るのが嫌になった」と井上。そしてある二軍の試合で気が付いた。 「守っている時にホッとしている自分がいた。結果が出ないこともあり、打席に入ることが、嫌になっていた。自分の長所は打力なのに、自分に背を向けているような気がした。あ、なんかもう、ここまで来たんだなと」
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