斜陽産業を再生へ スキー場を甦らせた経営戦略とは
23日に閉幕したソチオリンピック。テレビ画面に映る雪景色を見て、懐かしさがこみ上げてきた人も多かったのではないだろうか。日本には、かつて「スキーブーム」なるものがあった。熱狂的だったこのブームのピーク時、1993年にはスキー人口は1,860万人と発表された。人気スキー場ではゴンドラやリフトの待ち時間が数十分、混んでいると1時間などということもあった。 しかしその1993年を頂点にスキー人口は減少の一途をたどり、あれほど賑わいを見せていたスキー場は廃れていった。バブル経済が崩壊したのだ。そんな斜陽産業となったスキー場経営に乗り出し、次々と再生させていった男がいる。株式会社マックアースの代表取締役CEOの一ノ本達己氏だ。現在、27のスキー場を傘下に収めている。一ノ本氏は何故、スノービジネスを成功させることができたのか。その経営戦略に迫った。 ■念願だったスキー場経営 一ノ本氏が最初にスキー場を手掛けたのは2008年1月のことだ。当時経営していた滋賀県の奥琵琶湖マキノパークホテルは学校団体などを対象にしており、カヤックやスキーといった体験学習を宿泊プランに盛り込んでいた。2007年、ホテルから最も近いスキー場が閉鎖の危機にあると知らされた。マックアース社にとっても不測の事態だったが、地元の人々勧めもあり買収を決意した。国境スキー場である。 その当時を「スキー場経営のノウハウはゼロでしたね」と一ノ本氏は振り返る。しかしノウハウ以上の夢があった。子供の頃から遊びはスキー。国内のスキー場は200か所以上、制覇していた。「スキー場をもっとこうしたい」というアイディアは、山ほど持っていたのだ。 自身を「マニアなんですよ。スキー場マニア。ヤバイですよ」と笑う。「日本中のスキー場の標高差とか、飛行機乗りゃ上から見たら全部のスキー場がわかるし、どんなリフトがどのように架かっていて、そのリフトのメーター数が何メーターか、何となく覚えちゃってるくらいマニアなんですよね(笑)」。更に「大学卒業して家帰った頃、地図買ってきて自分の地元の山に『ここにこうリフト架けたら』、『こんなコースとったら』みたいな絵を描いてみるっていうのが趣味で、そういうことやっていましたねぇ」と打ち明ける。 だから不安はなかった。むしろ自分の思い、夢を実現できるチャンスが巡ってきたと捉えた。「スキー場経営なんてそんな大それたこと、一宿屋の跡取り息子ができるなんて全く思ってなかったので」。夢が現実のものとなった。