斜陽産業を再生へ スキー場を甦らせた経営戦略とは
■ウィンタースポーツ持続に寄与している地元のスキー場 次に隣町である宍粟市の戸倉スキー場がSOSを求めてきた。大学の後輩の頼みでもあったから、先方に会うことだけは承諾した。しかし、いくら算盤を弾いてみても採算が採れそうにない。 「神姫バスさんがオペレーションされていたスキー場で、それが撤退されているわけですし、私どもが入っていってもそんな簡単じゃないよねというのがひとつあったのと、あとは雪の問題ですよね。スキー場自体はすごい歴史があって50年からやっているんですど、斜面構成がいいとは決して言えないスキー場なんですよね。いきなり急斜面だったりとか。それでこのスキー場はちょっと厳しいなぁと思っていたんです」。断るつもりだった。 けれど、敵もさるもの。いきなり市長が直々に訪ねてきた。更に数でも圧倒された。断るつもりで“敵陣”に攻め入った時も、一ノ本氏ひとりに対して市長はじめ十数人が大挙して出迎えた。次こそ断ろうと決めて再び突撃したが、「長」の付く人達が勢ぞろいして懇願された。「もう、やりますわ」。根負けしてしまった。 しぶしぶ引き受けた戸倉スキー場だったが、「いざやってみると、このスキー場の大事さがわかったんですよ」と重要なことに気づいたという。「姫路から下道で90分くらいで来れちゃうんですよ。だからお客様も昼飯食って『おぉ行くか』って2時くらいに来られて、ちょちょっと滑って帰られる。姫路市に60万人いて、その周辺で100数十万人いて、1時間ちょっとのところにこの戸倉があって…。もしこのスキー場がクローズになったら、相当の人がウィンタースポーツ辞めるぞ、と」。危機感を抱いた。 「スキーが身近にあるから、たまにはちょっとハチ高原まで行くか、岐阜まで行くか、信州まで行こうかっていう話になるのであって、もしこれクローズしちゃうとスキーやらなくなる人が増えるなっていうのを実感したんですよ」。だからこのスキー場は何が何でもやらなくてはならない。最初は3年だけのつもりだったのが、今もずっと更新し続けている。 ■ノウハウの結集と情報の共有 一ノ本氏にはあるポリシーがあった。「宿とシナジーのあるものしかやらない」と決めていた。だからどんどん増やすのではなく、慎重だった。 4つ目は菅平パインビークだ。「元々レースばっかりやっているスキー場で、ちょうどソチで銀メダルを獲った竹内智香選手(スノーボード女子パラレル大回転)も、オリンピック前にここで練習していたんです。ボクも国体に出ていたので、予選前はいつもここで練習していたんですよ」。