中学時代は丸刈りでセーラー服「人と同じはつまらない」パリで創作に挑む女性画家 “突撃アタック”で作品を売り込み【働くって何?②】
▽ギャラリーに「突撃アタック」 自分の作品を売り込むために知らないギャラリーに「突撃アタック」した。「こんなの駄目」と言われ、泣いて帰る日々が続く。そこで考えを改めた。「(画家)本人が(ギャラリー運営者に)見せて『いいね、やろう』ってなるのはあんまりない。(画家とギャラリーの)真ん中に入ってくれる誰かに出会うまではアタックをやめよう」 田中さんは振り返る。「展覧会に作品を出すことばかり考えて焦っちゃって、クオリティーを上げることを考えていなかった」。反省し、以後、絵を描き続けた。 そして20代半ば、運命的な出会いが訪れる。友人の展覧会のオープニングパーティーに行ったところ「スーツを着たおじさん」に出会った。「絵を描いてるんです」と伝えたら名刺をくれた。有名な美術館の要職にある人だった。 ▽連絡するのを我慢 「自分の中でいいと思えた作品が何個かできたらこの人に見てもらおう」。以前の自分だったらすぐ連絡したが、1年ほど我慢した。「これだ」という作品ができて「あの時にお会いした者です」とメールを送った。 「最初から誰かを紹介するとはならなかったんですけど、その人がすごい優してく『もうちょっと。もうちょっとだな』と定期的に作品を見てくれた」という。2年ほど経過し、画家のマネジメントなどを手がける『ユミコチバアソシエイツ』を紹介してもらい、契約にこぎつけた。
ギャラリーに所属した2006年から7年間、絵を描くこと以外の全てを任せ「いい作品を作るべく集中していれば良い状態」になった。作品づくりに集中し「個展は通常、年に1回、ゆっくりな人で2年に1回やるんだけど、年に2回ぐらいやった」 ▽パリの街角カフェで人だかり 2013年、あるギャラリーのキュレーターの勧めで応募した文化庁の海外研修制度を利用し、フランスに拠点を移した。それまでも毎年1カ月程度滞在し「突撃アタック」を通じて知り合った現地のアーティストと交流を重ねてきた。 1年で帰国するはずだったが水が合った。「日本の学校ではみんな一緒が良しとされる中で常に逆行していたが、フランスは人と違うことがデフォルト(普通)なのでとても性に合った」 フランスと日本では「街の人がみんな芸術に興味あるところ」が違うと感じる。レオナルド・ダビンチの名画「モナリザ」を見ようとルーブル美術館には観光客が詰めかける。その磁力に世界中の芸術家が引き寄せられ、街のあちこちで自ら描いた絵を売る姿が目に入る。