中学時代は丸刈りでセーラー服「人と同じはつまらない」パリで創作に挑む女性画家 “突撃アタック”で作品を売り込み【働くって何?②】
▽東京・神保町の「ジャニス」に通う中学生 放課後は制服姿のまま東京・神保町にあった、音楽通が集まる貸しレコード店「ジャニス」に通った。「変な音楽が好きでニューウエーブとかすっごいいろんなの聞いていた。クラスメートが聞いていたアイドルとかポップな音楽は『けっ!』ていう感じ」だった。趣味の合う同級生はおらず、放課後に代々木や渋谷、原宿など東京都心のライブハウスに繰り出した。 高校は「自由な」校風の女子美術大付属高校に進学した。「小中学生時代も自由に過ごしていたんですけど、もっと自由になっちゃいました」。バンドを組んでギターを弾いた。 絵はずっと好きで「どうしたら画家になれるのか」を考えていた。高校1年生の時に導き出した答えが、個展を開くことだった。 ▽ケーキ屋のアルバイトで個展の資金集め 選んだ場所は東京・国分寺市にある貸しギャラリーだった。個展だったはずの展覧会はバンド活動で知り合った年上の男性も加わり、最終的には「2人展」になった。賃料は1週間で7万~8万円ぐらい。高校生にとっては高額で「時給700円やそこらのケーキ屋さんのアルバイトでお小遣いをためた」 その頃は拾った木や枯れ葉を用いてペッパーソースやしょうゆで絵を描いていた。「お金がなくてやったと言うより、違う素材で描くことを実験していた」という。
来場者は友人が中心だったが、そのギャラリーによく来る「知らないおじさん」にも見てもらった。「もっと頑張らなきゃ、こんなんじゃ駄目だ」との厳しい感想もあり、創作意欲はさらにかき立てられた。 ▽作品が売れず「すっごい悔しい」思い 2人展では、「お兄さんの作品が1、2個売れて、すっごい悔しかった」。30点ほど出した田中さんの作品は1点も売れなかったといい、決意を固めた。「これを続けていっていろんな人に見てもらうしかない」 再びアルバイトに励み、数年後、今度は20万円ためて渋谷のギャラリーで個展を開いた。しかし、それでも絵はほとんど売れなかった。 「こんなの一生やってるのかな。どうしたらいいんだろう」。人生の転機を迎えていた。 絵画の世界は大きく分けて、ギャラリー運営者が企画する展覧会と、画家が貸しギャラリーを借りて作品を展示するものと2種類あるという。「企画される方に行かないと一生バイトして貸しギャラリーってことになる」。どうしたら企画してもらえる立場になるかを考え「結局出会いだな」との結論に至った。