「つながっている私たちは強い」梨泰院惨事2年、紫色に染まった追悼広場
梨泰院惨事市民追悼大会
「小さいけれどたくさんの心が梨泰院(イテウォン)惨事を覚えています。遠く離れていても同じ気持ちで涙し、悲しんでいます。私たちは皆つながっています」 10・29梨泰院惨事から2年目を3日後に控えた26日、ソウル中区(チュング)のソウル広場に設けられた「哀悼と記憶のメッセージウォール」に付箋が一つずつ貼られていった。誰もが通りうる日常的な空間で起きた惨事が自分と無関係ではないと考える人々、だからこそ惨事は自分と「つながっている」と信じる人々が、足を止めてペンを手に取った。「安全の社会に向けた連帯を続けていきます。つながった私たちは強い」 10・29梨泰院惨事遺族協議会、市民対策会議などはこの日、「真実に向けた歩み、共にするという約束」とのテーマで梨泰院惨事2年・市民追悼大会を開いた。遺族と市民たちは、雑踏惨事の発生場所である梨泰院駅1番出口から市民追悼大会が開かれるソウル広場まで、4時間ほどかけて「紫リボン行進」をおこなった。同じ時刻、ソウル広場には惨事生存者、目撃者などを対象に真相究明調査の申請を受け付ける梨泰院惨事特別調査委員会(特調委)のブースをはじめ、市民たちが梨泰院惨事を記憶し追悼できるようブースが設けられた。 この日現場を訪れた市民たちは、もう惨事から2年が経ったというのが信じられないとしながらも、まだ社会は変わっていないと話した。大学生のパン・ジミンさん(21)は「市民の日常と無関係な惨事ではないにもかかわらず、いまだにある惨事に対する深刻な2次加害を見るたびにもどかしい。誰でも遊びに行くのに、そのような楽しい場所でさえ安全を保証されていなかったことが問題」だと語った。 リュ・スギョンさん(34)は「惨事に対して偏見に満ちたことを言う人も多く、最近、惨事の主要な責任者たちが一審で無罪を言い渡されたのを見ると、まだ何も変わっていないと感じる」と話した。シム・ギュウォンさん(23)は「セウォル号惨事以後、命と安全が尊重されなければならないとあれほどたくさん言われていたのに、梨泰院惨事でも国は存在しなかった」とし、「社会構成員としてこのような社会的惨事を記憶する義務があるし、忘れてしまったらまた繰り返されるかもしれない。だから追悼大会に来た」と話した。 2年前の惨事当時、最初に112(警察への緊急通報)へ連絡した時間を意味する午後6時34分からは、市民約5千人(主催側推算)の参加を得て市民追悼大会が開かれた。イ・ジョンミン遺族協議会運営委員長は「2年前の29日の夜は、限りなく暗く恐ろしい長いトンネルのようだった。『行ってきます』と言って出かけた子どもが突然冷たい遺体となって帰ってきて、もう二度と共に時間を過ごすことができないという絶望感が人生を根こそぎ揺さぶった」とし、「2年間、市民の方々が示してくれた連帯は、悪意ある侮辱や蔑視にも遺族が耐えられるようにしてくれた力だった。ただ、いまだに歪曲された視線が続いていることで、多くの生存被害者や目撃者が惨事を語って記憶することを躊躇(ちゅうちょ)している。彼らに対抗して惨事を語り続け記憶できるよう、力を貸してほしい」と述べた。 梨泰院惨事の生存被害者であるイ・ジュヒョンさんは「惨事から2年たつが、生存被害者の把握が全く行われていない。当時あの圧迫を経験した人は数百、数千人だった。あの時一緒にいた友人たちはかろうじて初期に救助され、生存者ではなく目撃者に分類された」とし、「特調委は被害者の調査を最大限にしてほしい。生存者、被害者なき真相調査では真実を知ることはできない。各自が経験して覚えていることを合わせるのが重要だ」と話した。 この日の市民追悼大会では、惨事2年を迎えて韓国を訪れたオーストラリア人犠牲者のグレース・ラシェードさんの母親、ジョアン・ラシェードさんによる手紙の朗読、ソン・ギチュン特調委委員長などの追悼の辞、歌手ハリムさんの公演などが行われた。 コ・ナリン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)