【視点】普天間撤去の道筋明示を
米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に向け、防衛省は軟弱地盤がある大浦湾側での埋め立て工事に本格着手した。反対派の抗議活動で死傷者が出た名護市の安和桟橋では、中断していた土砂の運搬作業を再開した。政府は早期に移設作業を完了させ、普天間飛行場の完全撤去に向けた道筋を明示する必要がある。 宜野湾市を訪れると、市街地を占拠するような普天間飛行場の巨大さに圧倒される。この基地の撤去は政治的にも、物理的にも困難な決断だったことがうかがえるが、日米両政府は1996年に返還合意を実現させた。 あれから30年近くが経過した。だが、基地はいまだに1㍉も動いていない。 2004年に沖縄国際大で起きた米軍ヘリ墜落事故で、市街地に飛行場が存在することの危険さが改めてクローズアップされたが、そこから数えても20年経つ。普天間飛行場の撤去が停滞しているのは、代替施設の工法、さらには辺野古移設そのものの是非が県内で政治問題化したためだ。 これ以上の引き延ばしは許されない。国民の生命、財産保護に責任を持つ政府が、普天間飛行場を撤去するため、現時点で唯一の解決策と位置付ける辺野古移設を進める意図は理解できる。 玉城デニー県政は反対姿勢を貫く。だが無条件撤去や即時返還を訴えるだけでは、時間が無為に過ぎていくばかりである。そのことは翁長雄志前県政以来の10年間が証明している。 移設反対派は当初、県内移設は新たな基地負担であり、負担軽減にはならないと主張した。移設先の海底に軟弱地盤が見つかると、今度は、移設は技術的に不可能だという批判を始めた。大浦湾の環境破壊も懸念している。 移設先のサンゴ礁保全など、政府として可能な取り組みは、反対派の言い分にも十分に耳を傾ける必要がある。 一方で、その時々の政治的状況に応じて反対派の訴えが徐々に変化しているのを聞くと、要するに反対のための反対ではないかという疑いも強まる。辺野古移設反対運動がイデオロギー闘争化しているように見えるのは、そのためだ。 現在できる最善の手段を尽くし、県民の基地負担を軽減させるのが政府の責務だ。まずは辺野古移設によって普天間飛行場の撤去を実現させる。その後、辺野古移設後の基地負担を最小限度に抑制するための施策を講じる。代替施設の自衛隊との共同使用、滑走路の軍民共用化の追求など、日本側として取り組めることはあるはずだ。 ただ現県政が反対一辺倒の姿勢のため、辺野古の代替施設の在り方に関し、前向きな議論が全く進んでいない。県民の意見を反映させる場がないまま、移設作業だけが先行して進んでしまうことへの危惧も感じる。その意味でも県政は、現実路線への転換を図るべきだ。 移設作業を止めるために展開されている反対派の抗議活動を見ると、トラックの前への立ちふさがり、歩道の占拠、出入口での座り込みなど「表現の自由」の域を超えているのではないかと思われるものもある。こうした状況下で6月28日に死傷事故が起きた。 移設先周辺の道路や港湾の管理者である県は、反対派に対し、危険な抗議活動の中止に向けた働き掛けを行ってこなかった。政治的な理由でこうした行為を容認してきたのであれば、事故を契機に態度を改めるべきだ。