火炭を食らうヒクイドリ 盛りすぎ御免のかわら版が庶民娯楽をプロデュース
珍しいものをひと目みたいという気持ちは、今も昔も変わりません。江戸時代から明治時代初期に庶民に愛読されていたかわら版には、珍しい動物に関するものが数多く存在します。多くは見世物小屋とのコラボで、外国から連れて来られた象など、大きくて珍しい動物はかっこうのかわら版のネタになりました。 しかし、ただ大きいだけ、珍しいだけでは、庶民にすぐに飽きられてしまいます。そこでどうしたら、より多くの見世物小屋に客を呼び寄せられるか、便乗してかわら版を買ってもらおうか、頭をひねらせたかわら版屋の仕事について大阪学院大学、准教授の森田健司さんが解説します。
江戸っ子も象に夢中
現代の日本においても、動物園は大人気である。休日ともなれば、家族連れやカップルで満員のところも珍しくない。日本動物園水族館協会に所属している動物園の数は、2017年現在、89に上る。同協会に所属していない小さな園なども含めると、全国に150ほどはあるに違いない。日本は、世界でも有数の「動物園大国」なのだ。 動物園のルーツを探ると、そこに現われるのは江戸時代に隆盛を極めた見世物だろう。 今の動物園の多くは、展示のみを目的としたものではなく、研究施設であることも兼ねている。また、「環境エンリッチメント」の理念の下、動物たちの幸せにも目を向けていることは、よく知られている。しかしそれでもなお、本来は野生で暮らす動物たちを、人間の生活圏に連れ出して見物させているという点で見れば、動物園は見世物の血を受け継いだ存在なのである。 江戸時代、動物の見世物は押しも押されもせぬ大人気イベントだった。知らない動物、見たこともない動物に、人々が目を輝かせるのは、江戸時代も現代も全く変わりがない。 見世物として、江戸時代の庶民の心を最も掴んだ動物は、疑いなく象である。象が初めて日本に連れてこられたのは1408(応永15)年のことだが、江戸時代において最も盛り上がった象の見世物は、1863(文久3)年のものだった。1859(安政6)年に開港されたばかりの横浜から陸揚げされ、両国橋の西側に連れてこられた雌の象は、江戸っ子たちの中で話題騒然となった。 遠方からも続々と客が訪れ、見世物興行が大盛況となったばかりか、多くの客がお土産として「象の錦絵」を買い求めることで、絵草紙屋も大いに儲かった。近隣の飲食店も、相当賑わったようだ。かわら版も数多く発行され、江戸は空前の「象ブーム」に沸いたのである。 冒頭に掲げたかわら版は、江戸時代が終わって間もない、1870(明治3)年に発行されたものである。書かれた記事を読んでみると、この象はアメリカの商船が運んできたもので、2歳の時に横浜港から上陸した、とある。そう、実はこの象、1863(文久3)年に見世物とされたのと、同じ個体なのである。あれ以来、ずっと日本で暮らしていたのだ。 記事をもう少し読んでみると、そこには象の見世物が高い人気を博した理由も透けて見える。長命の動物である象に直接触れれば、「ご利益がある」と言うのである。象に触れるには、見世物に出向くしかない。見世物興行を催した香具師たちは、実によく考えていた。 なお、このかわら版が報じた見世物は、大阪の難波新地で催されたものである。象の人気は高値安定だったものの、この回は少しばかり客入りが不調だったようだ。その理由は、同じ象が数年前にも同地に連れてこられていたかららしい。珍しさがなくなれば、見世物は当然厳しくなる。それと同時に、この雌象が相当酷使されていたことが窺えて、なんともかわいそうに思えてくる話である。