火炭を食らうヒクイドリ 盛りすぎ御免のかわら版が庶民娯楽をプロデュース
ヒクイドリは「火炭を喰う」?
いわゆる「安政五ヶ国条約」が結ばれる前、日本と海外との最大の窓口となっていたのは、長崎だった。長崎には、西洋で唯一日本と交流のあったオランダの船が定期的に来航し、様々な品物を運んできた。 その中には、最新の自然科学が記された書物や、写真機などの機器もあったが、日本に生息していない珍しい動物などもいた。それらの動物の多くは、港で商人によって購入され、見世物を催す香具師に売り渡された。そして、珍しい動物たちは、日本各地の寺社や火除地などで、見世物として披露されたのだった。 次に掲載されるのは、現在我々がヒクイドリと呼ぶ鳥に関する、かわら版である。
このヒクイドリも、1789(寛政1)年の7月に、オランダ船が長崎に運んできたものと記されている。もちろん日本にはいない鳥なので、これは金になると思ったのだろう。翌年の春には、上方で見世物が催され、予想通り多くの客が詰め寄せたようである。 ところで、その見世物の際に発行されたこのかわら版は、タイトルが「駝鳥之図(だちょうのず)」となっているが、これはなぜなのだろうか。本文にはこうある。 阿蘭陀国ニ而ハ 加豆和留と云 和名駝鳥或ハ 火くひ鳥と呼ぶ 和漢無比の奇鳥なり 日本では「ダチョウ」あるいは「ヒクイドリ」と呼ばれる鳥である、とあることから、少なくとも当時の庶民の間では、「ダチョウ」も「ヒクイドリ」も、同じ鳥を指す名として流通していたことがわかる。「和漢無比の奇鳥」という一節は、なかなか気の利いたコピーに思える。 先ほどの象のかわら版も同様のことが言えるが、江戸~明治初期における見世物に関する刷り物には、その動物の細かいデータがしっかり記されていた。このかわら版にも、ヒクイドリの大きさが「頭を上れバ六尺余」などと書かれている。大きなヒクイドリは、背の高さが1.9メートルほどになるため、「六尺余=約1.8メートルと少々」という情報は、極めて正確なものと言える。 しかし、大きいというだけでは、見世物の宣伝としては弱い。このかわら版の記事における山場は、次の箇所である。 常ハ米麦をくらひ 悖なる時ハ 鉄石瓦火炭などをくらひ 其儘糞に出す 鳥にして鳥にあらず 常食は米や麦だが、時には鉄や石、瓦や火炭まで食する「鳥でないような鳥」。それはもはや、怪物である。ここまで言われれば、見世物に出向かない訳にはいかないだろう。 もちろん、実際のヒクイドリは無機質など口にしないし、ましてや高温の火炭など食べられるはずがない。かわら版屋も見世物の香具師も、極めて正確な情報と、明らかに「盛った」情報の二つを、巧みに使い分けて商売をしていたのである。