辰吉Jrの2度目“聖地”登場は不完全燃焼の2回負傷ドロー…父は「モノは考えよう。対左の経験積んだと思えばええ」と慰める
ただ“カリスマ”は、現役時代にサウスポーを苦手としていた。変則サウスポーのダニエル・サラゴサ(メキシコ)には、2度、挑戦して勝てなかった。そして、WBC世界バンタム級王者時代には、この試合と、まったく同じようなシーンがあった。 1998年8月。横浜アリーナに父は、2度目の防衛戦で最強の指名挑戦者、ポーリ・アヤラ(米)を迎えた。のちにジョニー・タピア(米)に勝ってWBA世界王座を獲得、エリック・モラレス(メキシコ)やマルコ・アントニオ・バレラ(メキシコ)ら名ボクサーと激闘を演じたサウスポーである。 アヤラ戦も厳しい戦いになったが、6ラウンドに偶然のバッティングで左目の眉あたりを切った。流血がひどくなり、ドクターストップ。規定に従い、そこまでのラウンドの判定で3-0で勝利したが、ロープを叩いて悔しがり涙を浮かべて試合続行を訴えていた姿を思い出す。負傷ストップで終わる不完全燃焼のボクサーの気持ちが痛いほどわかるからこそ、辰吉はいつになく我が子に優しかった。 「モノは考えよう。このドローでキャリアを積んだと考えたらええんちゃうか。またサウスポーに対しても集中して練習できるやろうしな」 ただ、左目上に負った傷は心配していた。 控室で処置せず、大阪へ帰ってから病院にいくことになったと聞き、吉井会長に「縫わない方がいいのでは?」と持論を展開した。「あなたの古傷より場所は上だから。縫ったほうがええ」と、いうことで話は決着したが、吉井会長も次の試合については慎重だ。 「今日一番、恐れていたのはサウスポー相手によく起こる衝突で目を切ってしまうことだった。怖いのは、今後も試合の度に切れる、という癖になってしまうこと。だから、しっかりと治るまで試合は組まない。最低半年は無理だと思う」 吉井会長がそう言うと、父の辰吉も、うんうんとうなずいていた。 実は水面下では来年のチャンピオンカーニバルの時期を目安に日本スーパーバンタム級王者、久我勇作(ワタナベ)との日本タイトル戦の話も浮上していた。だが、予期せぬ負傷で、その話はいったん保留ということになった。吉井会長は、「タイトル挑戦の機会は引き続き探っていきたい」という。 父の言葉ではないが、たった2ラウンドだが、典型的なサウスポーをリングで経験したことは寿以輝にとっては大きな財産になっただろう。 「まず決まった試合をクリアしてチャンスがあれば…(タイトル戦にからんでいきたい)。でも、きょうの試合では何も言えないです」 寿以輝は、父と違いビッグマウスを封印した。 サウスポーが苦手だという辰吉家の”負の遺伝子”を寿以輝の代で断ち切るのかもしれない。 (文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)