ヒオカ「ドラマで〈恋愛しない人〉が〈恋愛体質の親の被害者〉や〈偏屈な人〉と描かれるのはなぜなのか」
◆男女の友情が恋愛にすり替わる展開 しかし、出来上がったものを見て涼は言うのだ。 「なんだかもったいない気もするんですよね。プロットの時から思ってたんですけど、あやのと相手役のまさとの友情関係が結構すきだったんです。それが今回恋愛に変わっていくじゃないですか。なんかせっかく二人の間に生まれた信頼関係に恋愛を持ち込むのがもったいない気がしました」 それに対して大平はこう反論する。 「何言っちゃってるの?ラブストーリーにラブ持ち込まないでどうすんのよ。 そんなの謎のないミステリーとか、医者のいない医療もの作れって言ってるのと同じでしょ」 「現実には友情にそこまでの爆発力はない」 涼も負けじと反論する。 「でも、いろんなドラマとか映画見てても思うんですよね。男女ペアが出てくると友情がいつの間にか恋愛にすり替えられてがっかりすることありません?」 しかし、大平は男女の友情に懐疑的。 「あたしに言わせりゃね、男女の友情なんて欺瞞に満ちてるの」 私は涼の言うことに、すごく共感してしまった。もちろん、大平の言うこともわかる。恋愛があるからこそ、物語に波や大きなうねりが生まれる。人物を突き動かす大きなエネルギーが恋愛にはあるのかもしれない。 でも、涼の言うように、男女が親密になると必ず恋愛に回収にされるのも、なんだか辟易とする。もちろん、恋愛要素に必然性があるものならいい。しかし、実際は、恋愛要素入れておけば視聴者は喜ぶんでしょ?という雑な入れ方をするものも少なくない。恋愛要素のない原作を、実写化した時に恋愛要素を入れ、ファンから大ひんしゅくを買う、という事例も実際あった。恋愛要素をぶち込んでおけばいいという制作側の姿勢に疑問を持つ人は多いし、最近では恋愛要素のない作品もよくヒットしており、時代が求めていると感じる。 さらに、もちろん大平のように、男女の友情は欺瞞だ、という人もいるだろうけど、私は男友達は何人もいるし、成立すると思うのだ。 涼には行城律(一ノ瀬颯)という男友達がいる。二人は、互いの名前入りのボールペンを交換して持つなど、かなり親密な仲だ。律は涼が恋愛をしないことを知っているが、律自身は涼のことを恋愛文脈で好きなのだ。片方が好きになってしまった時点で、大平の言うように友情は欺瞞になってしまうのかもしれない。それでも、律は涼の気持ちを尊重しているし、二人は確かな絆で結ばれている。印象的なのは二人が部屋で二人っきりになることだ。例えば律の部屋に涼が遊びに行って、家具の組み立てを手伝ったり、律がもらい過ぎた野菜を涼が取りに行ったりしている。世間一般的には、男女が部屋で二人きりになったら性的なことがあるはずだ、とする見方が強いが、二人は互いに信頼があるからこそ、部屋で二人っきりになれるし、そこで何も起らないのだと思う。
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