半導体の王者から“劣等生”へ…インテルCEO解任が「日本の半導体産業の再興」を予感させるワケ
● 環境変化への対応能力を欠いたインテル かつて、インテルはマイクロソフトWindowsのOSを動かす、中央演算装置(CPU)の分野で高いシェアを手に入れた。両者の密接した関係は「ウィンテル」と称された。インテルはCPU事業で得たキャッシュフローを再配分し、半導体の設計図、回路の開発、生産、販売などを完結する垂直統合型ビジネスモデルを強化した。 インテルは、自社が生み出す付加価値が社外に漏出しないよう、強固な体制を敷いた。実は、インテルが垂直統合の体制を磨く中で、重視したのがわが国の半導体関連部材メーカーなどとの関係だった。インテルは回路を形成する基盤であるシリコンウエハー、回路の形成時に用いる感光材、回路を切り出してケースに封入する製造工程(後工程)において、わが国の素材や部品メーカーと協働し、CPU分野での競争力を高めた。 90年代、米国でIT革命が起き、マイクロソフトWindowsのOSは世界的にヒットした。インテルは、パソコン向けのCPU需要を取り込むことで業績が拡大した。組織全体で、垂直統合型ビジネスモデルが成功体験となり、世界の半導体業界におけるインテルの地位は高まった。 その後、同社を巡る事業環境は変化した。2005年ごろ、当時のインテルCEOだった故ポール・オッテリーニ氏が、アップル創業者の故スティーブ・ジョブズ氏から相談を受けたそうだ。アップルが開発したiPhone専用チップの生産委託の打診だったと言われている。ただ、当時、世界のPC需要が拡大していたので、インテルはCPU事業を優先した。 オッテリーニ氏の意思決定は、結果としてインテルがスマホチップ需要を取りこぼす要因の一つになった。11年ごろ、世界のPC需要はピークに達した。CPU分野では米アドバンスト・マイクロ・デバイセズ(AMD)が高性能の機種を開発し、TSMCに製造を委託することでインテルからシェアを奪っていった。