<パリ五輪男子バレー>日本の”絶対的司令塔”関田誠大。恩師が「あの竹下佳江さんと共通する」と語ったセッターとしての天性の素質とは?
日本時間7月27日にドイツとの初戦を迎える男子バレー日本代表。近年の好成績もさることながら、見ているだけでワクワクする、強くて面白い日本代表の選手たち。そのルーツをたどると、ひとりの指導者の存在が浮かび上がる。松永理生、元中央大バレーボール部監督であり、現在は東山高校バレーボール部監督。中大では関田誠大と石川祐希、そしてサポートメンバーの富田将馬。高校では髙橋藍を指導した若き名将が語る、日本男子バレーの柱となる選手たちの若き日々―― 【写真】石川祐希、髙橋藍、関田誠大を育てた名将・松永理生氏
誰が入学してくるのかわからなかった
――松永さんが指導者としてのキャリアをスタートさせたのが中大。その1年目に入学したのが関田選手たちの代だったとうかがいました。当時を振り返り、どんな選手でしたか? 松永(以下同) 監督になるとはいっても、実情は誰が入学してくるのかわからない状態でした。関田、僕は名前で誠大と呼ぶのですが、誠大のことも「いいセッターが入ってくる」とは聞いていましたが、東洋高で日本一になったことも知らなかった。 彼らが入学する前の3月に僕も大学に合流して、初めて誠大のトスを見た時、彼のふわっとしたトスが若干浮きすぎているように見えたので「もう少し頂点を伸ばすトスのほうがいいんじゃないか」と話したのはよく覚えています。 しかもその話をしてからすぐ、彼が求めるトスの軌道を意識して上げてくれた。言われてすぐにできる選手なんだ、というのも強く印象に残りました。 ――当時から「いずれは日本代表へ」と思い描いていましたか? 「すぐには無理かもしれないけれど、これほどの技術がある選手なら、いつかは日本代表へ」とは思いました。ただ、誠大が入学した当初は中大にも3年生に上手なセッターがいて、彼を中心にチームを考えていたんです。 でも春季リーグの直前にそのセッターが捻挫をしてしまい、誠大に出場機会が巡ってきた。試合に出るうちにどんどんトスの質もよくなって、トス回しも多彩になった。 2年生まではサーブレシーブがほとんど返らなくて「(乱れたレシーブをつなげるために)こんなに走ったのは初めてです」と本人も言っていたぐらいなのです(笑)。ただ、そうやって必死につなぐ姿や、攻撃の幅などを見れば見るほど、日本代表でプレーさせたいし、行くべき選手だと思っていました。
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