恩師との約束、持ち越しに 神戸国際大付・板垣選手 選抜高校野球
第93回選抜高校野球大会第6日(25日)の2回戦。仙台育英(宮城)に4点を先行されて迎えた三回、神戸国際大付(兵庫)は無死二塁と反撃の好機、8番・板垣翔馬選手(2年)は4球目、ほぼ真ん中に甘く入った直球を強く振り抜いた。小学生の頃に所属したクラブチームの恩師と交わした「甲子園でホームラン」という約束を果たすべく力を込めた。 【神戸国際大付vs 仙台育英を写真で】 身長185センチ、体重100キロ(25日現在)。恵まれた体格を生かした打撃を見込まれ2年生ながら登録メンバー入り。今季の紅白戦では3試合で3本塁打を放ち、センバツでは1回戦の北海(北海道)戦から先発出場。チーム初安打を放ち、良い流れを作った。力強い打撃の原点は小学2年から4年間所属した「和田スポーツ少年団(兵庫県丹波市)」にある。 入団当初から体格も大きく、打球の飛距離も最大80メートルと他の子供に比べて桁違いだった。「兵庫県でナンバーワンのスラッガーになって、甲子園に行ってくれ」。長打力を見込んだ同少年団監督の堂本達也さん(51)の厳しい指導が始まった。週3回、練習の最後に行うノックでは「全員がノーミスするまで帰らせない」。冬は、ダム近くにある上り坂約600メートルをダッシュする通称「ダムラン」で脚力を鍛えられた。練習後も「重心を低く、右足に体重をのせる」打撃の基礎も習った。 堂本さんは高校時代、県内強豪の社(やしろ)で4番として活躍。県4強まで進んだが甲子園は逃した。肘をけがしてプロ野球選手の道も断念した経験があったからこそ、「教え子には俺みたいになってほしくない。上を目指して夢をかなえてほしい」。そんな厳しくも温かい指導に、板垣選手も堂本さんの家に押しかけては打撃フォームを自主的に習いに行った。 小学6年で足を痛めて手術し一時車椅子生活になった。半年以上プレーできない時期が続き、「どうせ試合に出られないんや」。打撃練習をする仲間を見ながらそう言った板垣選手を、堂本さんは叱った。「ふて腐れとっても上には行けんぞ。今できることを考えろ」。その日から、板垣選手は率先してランナーコーチや応援団長を務め、裏方に徹するようになった。 「プレーできない分、みんなの役に立ちたい」と小学6年の11月、引退試合では松葉づえをつきながらベンチを盛り上げた。堂本さんは「野球でうまくいかなかった時は人目もはばからず大泣きする子。でも一生懸命で素直で、野球バカなんですよね」とほほえむ。2回戦前夜には「ここまで来たら自分を信じるしかない。不安やったらバット持って寝とればええ」と冗談交じりにこう伝えた。 1回戦は3打数2安打と絶好調で、この日は「絶対ホームランを打ってやる」と気合を入れて打席に。手応えはあったがレフトフライに終わった。敗戦後、「今日はゼロ点」と悔しさをにじませたが、「甲子園に出るチャンスはまだ3回ある。次こそは日本一を目指しホームランを打つ」と気持ちを新たにした。【中田敦子】