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当時、自動車メーカー再編の波の中で生き残りを賭けて総合自動車メーカーへステップアップする必要があった
メーカーもユーザーも来るべきマイカー時代の理想の一台の姿を求めて、手さぐりで試行錯誤を繰り返していたのだった。1960年代の日本の自動車産業は、激動のさなかにあった。1965年の完成自動車輸入自由化を前に、国内自動車産業の保護と育成を目指した当時の通産省は、自動車メーカーの再編を構想したのだ。 その時点ですでに11社を数えていた国内自動車メーカーが、役所の目論見どおり、3グループ程度に再編されてしまえば、中小メーカーに生き残る術はない。事実、1960年代後半にはプリンス自動車が日産に合併吸収され、日野やダイハツがトヨタグループ入りするなど、厳しいサバイバルゲームが展開されるのだ。 そんな状況の中で、1960年にR360で乗用車メーカーの仲間入りを果たした東洋工業が単独で生き残るためには、早期にフルラインナップを揃えた総合自動車メーカーになる必要があった。その最大の武器が1961年にライセンスを購入したロータリーエンジンの実用化であり、それを実現する前に、小型車メーカーとしての実績も積んでおかねばならない。
豪華装備と相まって重量増に苦しんだキャリルは、ライバルである高性能軽自動車に比べて動力性能では見劣りするものであった
キャロルに積まれた軽自動車としては贅沢な4気筒エンジンも、小型車への発展を見越して設計され、1963年には、800㏄ にまで拡大されたそれを搭載した初代ファミリアが登場している。メーカー業界再編に抗うための他にない武器を求めて磨き抜いた技ーの戦略としては、最初から800㏄を前提に設計したエンジンを縮小させて軽自動車に積むことで、コストダウンと商品力の向上を狙ったということだろう。 当時としては先進的なオールアルミ合金製の4気筒OHVは、おかげでキャロルに上質な乗り味をもたらした。ただし、1気筒あたりわずか90㏄では、太いトルクは求められない。加速や上り坂では、貧相な音と煙をまき散らす2サイクル軽自動車の後塵を拝した。 ライバルより進んだ4速のトランスミッションはそれを補う武器ではあったが、豪華装備とあいまって車重がかさんで、やはり動力性能の足を引っ張る。最初はハイメカニズムに飛びついた当時の日本人も、やがてそれが必ずしもクルマの価値を決定づけるわけではないことに気づく。2輪用の空冷2気筒エンジンを転用したホンダN360や、2サイクル3気筒のスズキフロンテなどの高性能軽自動車が登場するにおよんで、キャロルの人気は下降していった。