大川内直子 会社は「部族」? 文化人類学をビジネスに生かす
近年、文化人類学の対象は、消費者や社会組織などへも広がり、ビジネスへの応用が進んでいる。文化人類学者の大川内直子さんは、文化人類学の手法を使った調査を手掛けるベンチャー企業を立ち上げた。大川内さんにインタビューする連載第1回は、大川内さんがメガバンクに就職をした後、ベンチャー企業のアイデアファンドを起業するまでを聞く。文化人類学によるエスノグラフィー(行動観察)は、人々の行動に密着して水面下のニーズや本音をあぶり出す手法だ。 【関連画像】「よこしまな気持ちで文化人類学を目指しました」と話す大川内直子さん ●アフリカで暮らしたかった みなさんは文化人類学と聞くと、どんなイメージを持ちますか? アフリカなどの「未開の地」で実地調査を行う、不思議な学問と思われているかもしれません。 しかし、今やGoogle、インテル、ネスレなど多くのグローバル企業が文化人類学の手法をビジネスに取り入れ、成功を収めています。時には経済学やビッグデータ分析よりも頼りになることもあります。 まず、私自身のことをお話しします。私は、2018年に文化人類学的な手法を用いてリサーチを行う会社、アイデアファンドを設立しました。 もともとは理系の研究者になるつもりで、東京大学理科二類(教養学部)に入学しました。小さい頃から動物が好きで、というか人間が嫌いでした。「人間がもたらす外部不経済が地球や動物を苦しめている」と憤慨していました。今でいえば資本主義の批判を行っている斎藤幸平さんの考え方に近かったかもしれません。 できれば、人間のいないところで生きていきたかった。野生動物の研究をしながらアフリカで暮らすことができれば、人間関係の煩わしさからも解放されるのではないかと思いました。 ところが、生物学では他人と協力して実験をしたり、論文を書いたりしなければなりません。解剖も苦手でした。どうにかアフリカに逃げる道はないものか──と悩んでいたときに「文化人類学でもアフリカに行けるかな」と思いました。理系から文系に転換する不安はあったものの、よこしまな気持ちで文化人類学を志しました。 でも、結局、アフリカには行けませんでした。当時はアフリカ研究が下火になりつつあったことに加え、東大の人類学教室にアフリカ研究の教員がいなかったのです。そこで「科学技術社会論」といって、いわば「科学者を社会的な民族に見立て、調査をする」研究室に進みました。大学院時代には東大発のバイオベンチャー、ぺプチドリームでフィールドワークを行いました。大学における科学の発見が、どのようにビジネスに転換されていくのかを文化人類学的な手法によって調査したのです。 その後、博士課程に進むか迷ったのですが、文化人類学では博士論文を出すまでに10年ぐらいかかることもあって、将来に不安を感じて就職の道を選び、みずほ銀行に入りました。 ●会社が「部族」に見えてきた 金融業界に飛び込んで驚いたのは、研究の世界とはまったく逆の目まぐるしさでした。5分で昼食をかき込むような毎日でしたが、社内で一番大きな法人の得意先を担当し、やりがいも感じていました。 文化人類学的な視点で見ると、社内の独特な用語や会議スタイルが、とある民族の儀礼のように見えて、面白かったですね。儀礼も社内独特のカルチャーも、一見無駄に見えても実は社会生活を円滑に進めることに寄与している。ただ、そんな話を上司にしたら、「俺たちは観察対象の動物か」と怒られました。 金融の世界で働くうち、改めて資本主義の行く末についても考えるようになりました。それに学部時代、ベンチャーを起業したことがあって、ビジネスを自分で立ち上げる面白さが忘れられませんでした。そこで文化人類学を社会に役立てようと、アイデアファンドを設立しました。企業や自治体などの依頼を受け、文化人類学の手法であるエスノグラフィー(行動観察)を使った調査を手掛けています。