「あそこの大学に行け」「就職しろ」の日本を飛び出して24年。川合慶太郎がオランダで築き上げた“Jドリーム”の存在意義【現地発】
「息子たちが一番難しい時期に本田圭佑さんや吉田麻也さんが…」
2010年に会社を辞めたことで、川合はJドリームの活動一本に絞った。そしてレイモンド・フェルハイエンの「ワールド・フットボールアカデミー(現在は『フットボール・コーチ・エボリューション』)」の日本担当としてセミナーを開いたり、日本のチームのオランダ遠征を手伝ったりしている。 「当時から私は、子どもたちが試合だけするとか、大会に参加する遠征に疑問を感じています。だからカレン・ロバートさんが運営しているローヴァーズのように、知り合いから頼まれたときだけ、お手伝いしています。子どもたちや、コーチたちのサッカー人生は遠征後も続くわけです。そこに私も貢献できるようお手伝いさせてもらっています。 ローヴァーズには、最初に試合をしてもらってコーチと一緒に分析し、その後のトレーニング計画作りを話し合い、最終日前に試合をして帰国後につなげるための評価トレーニングをして終わり――という流れにしています」 ローヴァーズのアムステルダム観光では「カレンさん、たっての頼みで1時間だけ、子どもたちの自由時間を設けているんです」(川合)という。みんなでヨハン・クライフ・アレーナに寄ってから、アムステルダムの中心街に行ってひと通り見どころを紹介して、それから子どもたちが3、4人のグループに分かれて1時間自由に動く。困ったときにはダム広場に戻ってくる約束だ。 “アムステルダムの自由行動1時間”への思いをカレンはこう語る。 「楽しむことはもちろんですが、『不便を経験してほしい』ということ、『外から日本を見てほしい』ということ、『夢を叶えるためには、サッカーがうまいだけではダメ』ということをこの1時間で理解してほしいと思っています」 24歳でオランダに住み始めた川合は今48歳。人生の半分をオランダで過ごしている。 「そこでちょっと思うことがあった。僕みたいな思いをさせたくなかったから、2人の息子をオランダで育てたかった。去年、次男が成人したので子育てが終わり、ここで夢がひとつ叶った。こういう仕事をしているからサッカー選手と知り合う機会が多い。息子たちが一番難しい時期に本田圭佑さんや吉田麻也さんがいろいろ言ってくれた。彼らは塾などには一切行かずサッカーばっかりしていたが、それでもオランダでは優秀と言われる大学に進んだ。僕はサッカー、母はピアノと自分たちのことで精一杯だったけど、子どもたちはオランダという国とオランダの学校とサッカー選手たちに育ててもらった。この先、どこでも生活していけるでしょう」 Jドリームが発足してから23年。かつての「子たち」のなかには親になった者もいる。日本に帰った子たちも、川合を頼って会いに来てくれる。 「彼らのなかから駐在員としてオランダに帰ってくる子が出てくるのも時間の問題でしょう」 コロナの後、オランダに住んでいる日本人の子どもたちはまた塾や習い事、土曜日の補習校と時間に追われるようになってしまった。そんな子どもたちをもう一度、笑顔が溢れる元気にするのが、これからの川合の夢だ。
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