「あそこの大学に行け」「就職しろ」の日本を飛び出して24年。川合慶太郎がオランダで築き上げた“Jドリーム”の存在意義【現地発】
東日本大震災から1か月でチャリティーマッチ開催を実現
場所はアムステルダム・アレーナ(現ヨハン・クライフ・アレーナ)。チームはアヤックス。しかし、日本から招待するチームがなかなか決まらなかった。Jリーグのクラブもチャリティーマッチに行きたかったものの「日本が大変で自粛ムードのなか、今、オランダに行ったら叩かれる」と恐れていた。 「対戦チームを探すのが一番大変だったんです。断られてばかりのなか、清水エスパルスだけ、幹部の方が『オランダの人たちが日本のために働いて寄付をしてくれるのに、なんで行かないんだ。うちは行くぞ』と言って、来るのを決めてくれました」 本当はアヤックス対清水エスパルスの試合だけだった。しかし、オランダサイドがより積極的に動いてくれて、前半はコンサート、後半はサッカーという2本立てのイベントになった。コンサートに参加してくれたミュージシャンの一つが、オランダではスーパースターのデ・トッパーズだった。 「オランダでは有名な歌手たちがテレビで一曲歌うと、『寄付しろよ』と言い続けてくれたんです。だから、音楽経由の寄付もスゴかったんですよ」 アヤックス対清水エスパルスは3万8000枚のチケットが売れ、7億円以上の募金が集まり、68か国で中継された。 「これを3週間でやり遂げたんです。スピードがあったからこそ募金があれだけ集まったんだと思います」 オランダ人のチャリティーへの熱意は有名だ。あのときもアムステルダム・アレーナに支払ったのは警備員や売店の店員の人件費、光熱費だけ。移動、宿泊なども多くの企業が負担してくれた。Jドリームの子どもたちも、ボールボーイやエスコートキッズで試合をサポートした。 今年もJドリームカップは9月1日、23社24チームが参加してRKAVICで開催される。Jドリームカップは日本大使館が協力。アムステルフェーン市や多くの企業がスポンサードしている。 この大会には裏のテーマもある。それはJドリームカップに関わったメンバーたちが、帰任して日本で再び働くようになっても、オランダのサッカー文化を忘れないで日本サッカーに貢献してほしいということ。その文化とは、企業がサッカーに対して熱心なこと。 「皆さん、日本に戻ったらどのような形でもいいから、会社としてなにかサッカーに関わることができないか、考えて行動してみてください」 川合はU-50チームのメンバーにそう言い続けている。 <文中敬称略> 取材・文●中田 徹
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