紀元前から2000m超の山頂にある巨像群と王墓、「世界八番目の不思議」ネムルト山
誰も見たことのない王の遺体がおそらく中に、古代ギリシャとペルシャの文化が融合、トルコの世界遺産
トルコ東部のネムルト山の頂上には「世界八番目の不思議」がある。もちろん、その候補のひとつということだが、標高2000メートルを超える山の頂にあるのは、古代の王の墓とされる塚(マウンド)を10体の巨大な像が囲む孤高の聖域だ。古代のギリシャとペルシャ両方の遺産を受け継いだ壮大な石の建造物には、その宗教と埋葬の慣習が色濃く表れている。 ギャラリー:「世界八番目の不思議」ネムルト山、王墓内部の再現図も 写真と画像13点 現在のトルコ南東部の山岳地帯に位置するコンマゲネは、ヘレニズム時代はシリア王国(セレウコス朝)の属州だった。ヘレニズム時代をもたらしたアレクサンドロス大王が紀元前323年に死去すると、マケドニア軍の将軍セレウコス1世ニカトールがこの地域を支配する。 約160年後、コンマゲネの総督プトレマイオスが自らをコンマゲネの王だと宣言し、当時崩壊しつつあったセレウコス朝から独立した。新たなヘレニズム王朝の国王の誕生だ。 紀元前1世紀、コンマゲネはアナトリア半島の支配を巡って争うローマ帝国とパルティア帝国の緩衝地帯だった。この時期、コンマゲネは黄金時代だった。文化の融合が一般的だったヘレニズム時代のご多分に漏れず、コンマゲネではギリシャとペルシャの文化が融け合っていた。 紀元前70年から前36年頃にかけて、最も有名な王アンティオコス1世がコンマゲネを統治した。アンティオコス1世はローマ帝国とパルティア帝国の紛争に対して中立を保とうとした。しかし、残念ながら後継者たちはうまくやれず、コンマゲネは数十年後にローマ帝国に併合された。 今日、コンマゲネはアンティオコス1世がネムルト山(トルコ語でネムルト・ダー)の頂上に建てた壮大な墳墓で名をはせている。ネムルトは、創世記に「強大な狩人」として登場するニムロド王の別名でもある。地元の伝承によれば、ニムロド王はかつてネムルト山の斜面で狩りをしたとされている。
王の記念碑と5体の巨像
アンティオコス1世が大きな塚を築いたネムルト山は標高約2150メートル。塚の足元には、高さ約3~9メートルの巨大な石像も建てた。ネムルト・ダーの建設は、芸術的にも物理的にも大きな挑戦だっただろう。 アンティオコスはまず、自分の墓を守るためと思われる人工の塚を築けるように山頂を段状にした。現在、この塚は高さ約50メートル、直径約152メートルあるが、建設当初は高さ約70メートルもあったとされる。塚に至る道は3本あり、北、東、西に3つの大きなテラスが造られ、そのテラスに像が置かれた。 今は東と西のテラスの像だけが残っている。両者の特徴はよく保存されており、よく似たグループだ。 東のテラスでは、5体の座像がそびえ立っている。巨像の背面に刻まれた長い碑文には、それぞれの神について記されている。 左側の像はアンティオコス1世だ。隣はコンマゲネ王国を擬人化した守護神たる女神で、他の3体ではギリシャ・ローマとペルシャの神々が様々に融合している。 1つ目の像は、ギリシャ神話の最高神であるゼウスと、ペルシャ神話の最高神であるオロマスデス(アフラ・マズダー)を組み合わせたものだ。2つ目は、アポロン、ミトラス、ヘリオス、ヘルメスの属性を組み合わせている。最後の像では、ギリシャ神話の英雄ヘラクレス、ペルシャ神話の神で王の守護者であるアルタグネス、ギリシャ神話の戦争の神アレスを一体化させている。 これら5体の主要な像は、ワシとライオンの守護像2対に挟まれている。ワシとライオンは、天と地の権力、つまり神々と人間が支配権を行使する領域の象徴だ。さらに、これらの像の前には大きな祭壇がある。 東のテラスほど保存状態が良くないが、西のテラスにも同じ像が見られる。石碑にはアンティオコス1世が、ゼウス-オロマスデスやアポロン-ミトラス-ヘリオス-ヘルメスなどのギリシャとペルシャ神話の神々と握手(「デクシオシス」と呼ばれる行為)している様子が描かれている。各像のデザインや属性は文化の融合だけでなく、宗教的・政治的伝統も示している。 彫刻群は塚の三方で境界線をなしている。アンティオコス1世はその中に副葬品とともに埋葬されたと考えられている。 その後、埋葬室は何千もの石で覆われて人工的な山頂が形成されたため、考古学者は埋葬室までたどりつけない。アンティオコス1世の遺体は、2000年以上前に埋葬されたときと同じ場所にある確率が高い。