【プロ1年目物語】ライバル選手に異例の「オカダコール」も…6球団競合のゴールデンルーキー岡田彰布
打撃ではその内角もまったく苦にしないバットコントロールを絶賛されるも、いかんせん守るところがない。開幕一軍入りを果たしたが、ブレイザーの評価は「右の代打で五番手ぐらい」と手厳しいものだった。この扱いに虎党の不満が爆発する。本拠地でヒルトンが打席に入ると、なんと自チームの助っ人に向かって当てつけのように「オカダコール」が浴びせられたのである。これには阪神コーチから「あれではヒルトンがかわいそうだ」と同情の声があがるほどだった。背番号16は、開幕から4試合目の大洋戦(甲子園)にようやく代打で初出場するも、平松政次の前にあえなく空振り三振。球団が外国人選手の獲得をブレイザーに委嘱していたため、自分が連れてきた助っ人を優先的に使うのだと週刊誌では報道され、帰宅するヒルトンが乗るタクシーをファンが取り囲む騒ぎもあった。まだSNSやメールがない昭和の時代、球団事務所にはファンから抗議の電話も殺到。岡田自身も、この異様な状況に心を痛める。 「つらかったなぁ。いやだったなぁ。もうぼくにしてみれば、ベンチに座っていて、いてもたってもおられん気持ちだった。ヒルトンもつらかったと思いますよ。そりゃぼくが打席に入っているなら、ああいう声援にこたえないかんと思うけど、ぼくはベンチに座っているんですから……。耳をふさぎたかった。ああ、早く“本当の岡田コール”を聞いてみたいとつくづく思ってました」(週刊ベースボール1980年5月26日号)
中西体制でハツラツとプレー
監督から「基本が間違っている」と指摘された守備を改善するため、岡田は試合前に安藤統男コーチとマンツーマンで泥にまみれて特訓する。一軍登録にもかかわらず、実戦感覚をなくさないように早朝に合宿所を出ると、朝9時から甲子園で練習して、11時半開始の二軍戦に「三番サード」で出場。4月9日のウエスタン中日戦では、左中間に3ランアーチを放ってみせた。試合を見に来ていたブレイザー監督は、「ナイスバッティング」と声をかけてくれたという。 4月18日、掛布が左ヒザの故障で戦線離脱したことにより、岡田に出場機会が回ってくる。実はウエスタンの試合で右肩を痛めていたが、ついに回ってきたチャンスだ。22日の大洋戦に「八番・三塁」で初先発。そして、5月1日の巨人戦。2回裏、新浦寿夫のカーブをとらえ甲子園の左中間のラッキーゾーンに運ぶ1号3ランを放つのだ。11試合、32打席目に飛び出した待望のプロ初アーチ。さらに岡田に追い風が吹く。5月10日に打撃不振のヒルトンが退団。15日にはブレイザーも自分の関与しない新外国人選手の獲得に怒り、電撃辞任。代役監督は中西太コーチが務めた。掛布が復帰すると、中西監督は二塁で岡田を起用。本人も春先とは違い、コンバートに前向きなコメントを残している。 「やってやる……いやオレはやれるんだという気持ち。以前に、ファーストだ、いや外野だといわれたときの気持ちとはまるで違う。あのときはまだ試合に出られるかどうかわからなかったでしょ。だから、不安ばかりがつのりますよね。今は、試合に出場するための二塁守備ですから、出られるんならやってやろう……そういうことです」(週刊ベースボール1980年5月26日号)