【プロ1年目物語】ライバル選手に異例の「オカダコール」も…6球団競合のゴールデンルーキー岡田彰布
ゴールデンルーキーは以降レギュラーに定着すると、阪神の新時代を担う掛布と岡田の“KOコンビ”誕生とファンは騒いだ。もちろん、チームを去ったブレイザーにも言い分はあっただろう。ルーキーは、アメリカのようにマイナーリーグで経験を積んでからメジャーに上がるものだと考えていたのだ。 「ファンと新聞記者は彼(岡田)をプレーさせたがっていた。正直私はこれほどの無理強いがあることは想像もしていなかった。それにファンの人々も私の意図をくんで理解してくれるだろうと考えていた。もちろん、後楽園の巨人戦で掛布がケガに倒れてから大きなプレッシャーが始まった」(週刊サンケイ1980年5月1日号) どちらかが正義で、一方が悪という単純な話ではない。上司と部下、それぞれの野球観がある。だが、岡田は中西体制でハツラツとプレーした。この年の掛布は怪我がちで、背番号16のポジションは二塁と三塁で流動的だったが、本塁打も二ケタに乗り、甲子園の観客動員数も岡田人気で過去最多を記録する勢いだった。ファン投票で選出されたオールスターでは第1戦で代打3ランを放ち、MVPを獲得。なおこの試合で先制ホームランの王貞治は現役最後の球宴となった。
ブレイザーからのメッセージ
時代の変わり目で輝く背番号16。8月19日の広島戦でセ・リーグ通算2万号のメモリアルアーチとなる13号を放つなど、夏の長期ロードで打率.297まで上昇させ、打順も五番に上がった。ルーキーとしては長嶋以来22年ぶりの規定打席到達での打率3割も現実味を帯びてくる。8月下旬に蜂窩織炎でリタイアするアクシデントもあったが、9月18日の広島戦で2安打を放ち、打率3割に到達。しかし、ペナント最終盤に打撃を崩し、規定ちょうどの403打席で打率.290、18本塁打、54打点、OPS.820でプロ1年目を終えた。それでも見事に新人王に輝き、岡田彰布の長いプロ生活が始まるわけだが、そのあとの男の人生は、あえてここで語るまでもないだろう。 ドラフトで6球団が競合した六大学のスターで早大出身のエリート選手のイメージも強いが、プロ入り当初は監督の意向もあり、なかなかチャンスを与えられず、ときに二軍戦で泥にまみれてキャリアをスタートさせた意外な過去――。後年、ブレイザーの親しい人物から、あるメッセージが届いたことを岡田は自著で明かしている。 「オカダよ。何もキミが憎くて使わなかったのではない。期待され入団してきたルーキーであるから余計に起用法を考えた。余分な力みを生まない、楽なところから使ってやりたかった。だから、時期がずれたのだ。リラックスしてゲームに入れるように、と考えた結果なのだ。憎かったわけじゃない。それを最後に伝えておくよ」(頑固力 ブレないリーダー哲学/岡田彰布/角川新書) 文=中溝康隆 写真=BBM
週刊ベースボール