能登半島地震で60台が活躍、キャンピングカーの知られざる秘話 利用者も感謝「足を伸ばして寝られる」
能登半島地震でキャンピングカーが活躍
能登半島地震から1年がたった。大きな被害を受けた現地はいまだ復興の道半ばでもある。さまざまな分野で地震への対処の検証が行われる中、キャンピングカーを使って被災地支援を行った例を取材した。(取材・文=土田康弘) 【写真】「ありがとう」「命のバケツリレー」と話題に 高須院長のヘリコプターから物資をバケツリレーで出す様子、実際の写真 2024年1月1日、全国がお正月気分に浸っている中で起こった能登半島地震。大きな被害が広範囲に渡り、さまざまなインフラが破壊され使用不可になった。すぐさま災害に対する支援が開始されたが、その中で注目されたのがキャンピングカーによる支援だ。 能登半島地震の発生後、日本RV協会は被害を受けた自治体に対してキャンピングカー60台を供与して救援活動を行った。同協会には全国のキャンピングカー製造するメーカーの多くが加盟している。 近年、各地で地震さらには豪雨被害などがたびたび報道されている。能登半島も昨年1月の地震に続いて9月に豪雨被害を受けた。報道などを見て災害による地域生活へのダメージの大きさは誰もが知るところだ。一方で、インフラが破壊された場合に対処するさまざまな支援プランもテストされている。 その一つとして注目されるのがキャンピングカーの活用だ。災害地で住居を失って避難を余儀なくされた場合に仮設住宅などができ上がるまで一時的なシェルターとして利用する考え方も進んでいるが、能登半島地震においてはどのような役割を果たしたのだろうか? 実際に被災後の能登半島に赴き支援に奔走した日本RV協会の担当者に当時の様子を聞いた。 「能登半島地震では自治体職員宿泊拠点としてRVパーク村を設置しました。協会加盟のキャンピングカーメーカーに働きかけて貸与キャンピングカーを集め、被災地復興に携わる自治体職員や全国各地からやって来る応援職員の宿泊場所を確保することにしたのです」
震災時にキャンピングカーが果たす役割
派遣のきっかけとなったのはある応援職員からの声だった。「インフラが滞り宿泊施設が利用できない。また道路や鉄道など現地への移動手段が乏しい」という窮状が聞かれた。震災直後は役所フロアに寝袋を敷いて雑魚寝する状況で休憩スペースもなかった。 被災地では当事者である被災者と、復興を支援する支援者双方のサポートが必要だ。同協会はこれまでも災害対策に積極的に関わってきた経緯もあり、各メーカーへのアプローチも素早く、すぐさま行動に移すことができた。 全国のキャンピングカーメーカーらから貸与するキャンピングカーが集まり、1月11日に珠洲市に19台、18日には輪島市に20台、さらに30日には珠洲市に追加の11台、2月8日には輪島市に10台が配置されることになった。 「キャンピングカーの主な目的は全国からやって来る都道府県職員の宿泊、休憩所です。市役所へのアクセスも考えて最寄りの駐車場に設置することになりました。最初に自治体職員に皆さんに使い方をレクチャーして、その後は独自に管理してもらうことにしました。説明書を作って設置するようにしたので使用方法に関する混乱はなかったと思います」 そもそも被災地にキャンピングカーを設置する意味とはどのようなものなのだろう? 災害の救援活動は現地での宿泊などは“行く側”が手配するのが原則。しかし、被害が甚大な被災地ではインフラが破壊され宿泊施設も利用できない状況であったことが救援を難しくしていた。 「その点、キャンピングカーは自走できるので(道路さえ通行できれば)素早く設置できます。自前で宿泊スペースを確保できるという点で優れています。今回、全国から集まったキャンピングカーはキャブコン(キャブコンバージョン/トラックベースで荷台部分にキャンパーシェルを架装したキャンピングカー)と呼ばれるタイプが主でした。広いフラットのベッドを備えていること。また走行充電やFFヒーター(軽油を燃料としたヒーター、クルマのエンジンを停止しても別途ヒーターを利用できる仕組み)を備えています。外部から電源が供給できるエリアではトレーラータイプのキャンピングカーも設置しました」