小沢健二「90年代で止まったまま」「ファン相手のディナーショー」NHK出演で殺到した批判が的外れなワケ
小沢健二の器用な手さばきと知性の切れ味を再認識するものの
今回の出演に際して、小沢健二はNHKのサイトで音へのこだわりを詳細に語っていました。テレビカメラからスマホカメラに切り替わるところで音質も変えた演出とか、生のドラムが演奏するたびに音が変わる「自然なムラ」の暖かみを持っていることを大切にしたとか。 とても本質的な話ですし、真のプロフェッショナルにしか追求できない奥深い世界なのだと思います。 しかしながら、本来のTiny Deskは、職人的な追求から一歩離れた良い意味のラフさ、音楽の大まかな味わいをわしづかみにすることに、企画の意図があります。それが「親密な」(intimate)という形容詞にあらわれている。 だとすると、生真面目なこだわりや高度な知性をある程度捨てる勇気も試されているというわけです。 今回の小沢健二は、その点において、やはり少し物足りなく感じました。音楽を思った通りに操作する知性やクリエイティビティは申し分なくとも、一つの音が五臓六腑(ごぞうろっぷ)に染み渡る感覚がない。 もっとも、日本版の全ての放送回を通じて、そのような表現に到達したミュージシャンは、いまのところいません。 ともあれ、かぶり物が悪目立ちしてしまったオザケンですが、むしろそのおかげで彼の器用な手さばきと知性の切れ味を再認識できた面はありました。ハッとさせられる瞬間が、いくつもありました。それは、美大でデザインの講義を受けているような感覚だったと言えるのかもしれません。 同時に、その高度に洗練された表現ゆえに、いまの日本の音楽に決定的に欠けているものも浮き彫りにしたと思うのです。 <文/石黒隆之> 【石黒隆之】 音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4
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