小沢健二「90年代で止まったまま」「ファン相手のディナーショー」NHK出演で殺到した批判が的外れなワケ
アメリカの本家と比べると日本版は音がこじんまりで小ぎれい
しかし、同時に筆者には物足りなく感じる部分もありました。アメリカの本家『Tiny Desk Concerts』の長年のファンからすると、日本版はどうしても音がこじんまりと、そして小ぎれいに聞こえてしまうからです。 もともと『Tiny Desk Concerts』はアメリカの公共放送ラジオ放送のオフィスの一角で、「親密なコンサート」をコンセプトにスタートしました。レコーディングで製品化された整った音でもなく、大きな会場で大音量で圧倒するのでもなく、歌声や楽器が持つ本来の音を再現することで音楽の“親密さ”を復活させようという試みなのです。 その中で、従来ならば除去されてしまったであろう息遣いや、楽器演奏の合間のちょっとした衣擦れのような微音が漏れ伝わってくる臨場感が新鮮だったのです。 ところが、この番組の根幹である、楽器の生音の荒々しさだとか、フレーズを弾く前の助走にあたるささくれのようなノイズが、日本のミュージシャンからは聞こえてこない。同じ形態、演出で生演奏を放送しているはずなのに、全く違うものに聞こえるのです。 たとえば、デュア・リパのライブでは、針が振り切れそうなボーカル、アコースティックギターのコードチェンジの際の弦と指がこすれる音、そしてドラムを文字通り“叩いている”打撃音が、一気に襲いかかってくるような迫力があります。 これらは、音楽的な細やかな技術や理論というよりも、もっと肉体的な強さを伝えるものです。それを浮き彫りにするために、オフィスの一角という音響的に整っていない場所で音楽を演奏するのですね。デュア・リパに限らず、『Tiny Desk』に出演するミュージシャンは、いわば素手の殴り合いの決闘に向かうようなものです。 音楽を通じて、“その人そのもの”があらわになる。ミュージシャンが圧倒的存在だとわかりやすくするために、環境を削る。それが『Tiny Desk』の醍醐味(だいごみ)なのです。