考察『光る君へ』35話「お慕いしております!」中宮・彰子(見上愛)の心を動かした『源氏物語』「若紫」。一条帝(塩野瑛久)は道長(柄本佑)に「夜に藤壺にゆく」
藤原道綱母からつづく灯
あかね(泉里香)が敦道親王と死に分かれた。弔問に訪れたまひろに、あかねが詠む、 物をのみ乱れてぞ思ふ誰かには今は嘆かむぬばたまの筋 (物思いに心も黒髪も乱れています。この嘆きを聞いてくれる人がもういないので) ぬばたまの筋とは黒髪のことを指すのか。この歌の詞書には「頭を久しうけづらで、髪の乱るるにも(頭髪をしばらく梳かなかったので、髪が乱れてしまった)」とある。悲しみに暮れて、身だしなみも手につかなかった様子が伝わる。 黒髪の乱れも知らずうち伏せばまずかきやりし人ぞ恋しき (黒髪が乱れるのも構わずにこうして横たわっていると、この髪をかきあげてくれた人が恋しく思い出される) 親王の生前、31話で彼との閨を思って詠んだこの歌と、対になっているかのような哀傷歌だ。 「かつて、書くことで己の悲しみを救ったという方がいらっしゃいました」 15話の石山寺詣で出会った、藤原道綱母──寧子(財前直見)の言葉だ。藤原兼家(段田安則)との「かがやかしき日々」を記した 『蜻蛉日記』は、後に続く女流作家たちの道を照らす灯とも礎ともなってゆく。
惟規、禁断の恋
34話で「俺、神の斎垣を越えるかも」と姉に打ち明けていた、まひろの弟・惟規(のぶのり/高杉真宙)が踏みこんだのは、男子禁制である賀茂斎院に仕える女房・中将の君(小坂菜緒)との禁断の恋であった。斎院とは、神に仕える未婚の皇女・女王の居所のこと。 忍び込んだ惟規が見つかってしまった事件については『今昔物語集』などにある。 ドラマ内で彼が得意げに披露した歌、 神垣は木の丸殿にあらねども名乗りをせねば人咎めけり (この斎院は木の丸殿ではないのに、名乗らなければ咎められてしまうのですね) 木の丸殿とは、斉明女帝(在位655年~661年)の時代、現在の福岡県朝倉市に建てられた朝倉宮を指す。白村江の戦いの真っただ中で、伐っただけの丸太を組んで作られた急ごしらえの御殿だったのでこの名がついた。セキュリティのために木の丸殿に出入りする際は名乗るのがルールであったため、中大兄皇子……のちの天智天皇が、 朝倉や木の丸殿に吾がをれば名告をしつつゆくは誰が子ぞ (朝倉の木の丸殿で、名乗りながら通ってゆくのはどこの誰なのか) この歌を詠んだと『古今和歌集』にある。それが歌い継がれ、催馬楽『朝倉』にもなり、醍醐天皇(897年~930年在位)の時代に神楽歌に加えられた。これを引用したので、惟規は賀茂斎院・選子内親王(のぶこないしんのう)に許していただいたという。 「そんなによい歌とも思えないけど」とまひろは呆れるが、即興で名告りから木の丸殿の故事、場所が斎院なので神に捧げる神楽歌をベースに……というところに斎院は感心なさったのだろう。そして、ドラマではあくまでも暢気者で勉強ができない弟キャラとなっているが、このエピソードからわかるように藤原惟規は教養ある人物であり、勅撰和歌集にも歌を採用される歌人である。文化人としての彼の不幸は、比べられる姉が希代の才女・紫式部であることと、彼女の日記の「幼い頃、惟規は漢籍の暗唱ができなかった(私はできたけど)」この部分が一人歩きしてしまったことだ。 まあでも、紫式部だってそこだけフォーカスされるとは思ってなかっただろうし……。 彼が賀茂斎院の女房と交わした歌は『藤原惟規集』で読むことができる。
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