城西大・久保出雄太と櫛部監督の絆“自分はこの中で走っていいのかな”勇気づけた一本の電話 同好会から箱根ランナーへ駆け上がった努力の4年生
■“自分はこの中で走っていいのかな”箱根直前にふるさとを襲った大地震 勇気づけた一本の電話
ぐんぐんと力をつけた久保出選手は、入部から1年後の2年時10月には箱根駅伝の予選会に出場。3年時には第100回の記念大会ではメンバー入りを果たし、復路6区にエントリーされます。憧れの赤いユニホームで、夢の舞台を駆けるその時が近づいていました。 しかし、予期せぬ事態に、久保出選手の心は不安に覆われます。2024年1月1日、能登半島地震。368人のエントリーの中で唯一の石川県出身だった久保出選手のふるさとを震度7の地震が襲ったのです。 「自分は宿舎にいたのですが、すごい揺れたなって思っていたらまさか石川県。自分はこの中で走っていいのかな」 それでも1月3日、復路のスタート地点である芦ノ湖には久保出選手の姿がありました。不安を取り除いてくれたのは、櫛部監督からの一本の電話だったといいます。 「『久保出、家族大丈夫か?』って。でも家族は自分の応援に来ているので無事ですと。じゃあ『石川県をお前の走りで盛り上げるしかねぇじゃん』と言ってくれました。箱根駅伝を走るのに、この城西でやっとかなえられた夢なのに、俺は何マイナスなこと考えてるんだ。走るからには城西を盛り上げるのはもちろんだし、石川県のみんなを盛り上げようというふうに思った」 今の自分にできるのは走ること。その姿でふるさとに元気を届ける。自分の夢とふるさとへの思いを胸に走った初の箱根路は、ちょっぴりほろ苦い区間13位。迎えてくれた祖母からは「雄太、よう頑張った。つらかったやろ」と言われ、「キツかった」と。それでも笑顔で仲間と健闘をたたえあいました。
■“チームに欠かせない存在”へ 「大好き」な監督のため走る最後の箱根
「監督に恩返しするには区間賞しかないと思っているので、来年は絶対に区間賞を取りたいと思います」 さらなる躍進を誓った今シーズンは、出雲駅伝でアンカーの6区を任され区間9位。全日本学生駅伝では終盤の7区を区間11位で走り、主要区間を託される存在へ。またムードメーカーとしてもチームに不可欠な存在となっています。 櫛部監督は「努力と、もともとの潜在的な能力。そういったものが合わさって今があるのかなと思います。非常に周りから好かれている印象を持っていますし、私自身も彼のことが好きですから」と高く評価。 久保出選手は「関わってきてくれた人たちみんなに感謝しているのですが、やっぱりその中でも監督に一番感謝していますね。監督、大好きなんで」と笑顔がはじけました。 集大成となる最後の箱根でも、櫛部監督への感謝を胸に最高の走りを見せてくれるにちがいありません。