「飲み残しコップを放置する夫」はじつは経営が下手…多くの夫婦が対立する「根本原因」
わたしたちはいつまで金銭や時間など限りある「価値」を奪い合うのか。ベストセラー『世界は経営でできている』では、気鋭の経営学者が人生にころがる「経営の失敗」をユーモラスに語ります。 【写真】人生で「成功する人」と「失敗する人」の大きな違い ※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。
哀愁の彼方に:家制度崩壊後だからこそ必要な家庭経営
いずれにしても、すべての人は生まれてすぐに異性と母子・父子関係を結ぶところから出発し、恋愛・結婚・独立を経て親子関係とは異なる対等な夫婦関係を構築していくという同じ道をたどる。 そして夫婦関係においては夫と妻のどちらもが、親子のように無条件で価値を提供できるわけではなく、相手に価値を提供すべく主体的に問題解決していかなければいけなくなる、という転換期を迎えるわけである。 たとえば「ちょい残しコップ散乱問題」については妻側の「片付け対象が放置されていると気が休まらないから、家は常に整理整頓された状態を保ちたい(整理整頓する)」という要求と、夫側の「常に家の整理整頓に気を配っていたら気が休まらないから、何も考えずに過ごしたい(整理整頓しない)」という一見すると両立が難しそうな要求がある。 しかし両者はどちらも「家では気を休めたい/リラックスしたい」という要求は共通している。そこでこの目的に対して「整理整頓する」「整理整頓しない」という二つがそれぞれいかに寄与できるかについて考えてみるといい。 すると、「整理整頓する」ことそのものではなく「物が散らからない」ことが大事なことが分かるし、「整理整頓しない」ことそのものではなく「余計なことを考えなくてよい」ことが大事だと分かる。 だとすれば、「余計なことを考えなくても物が散らからない」ようにすればよい。たとえば「(少し間抜けな格好になるが)家ではマイ水筒を首からぶら下げてそれだけを使うようにする」でもいい。お金があるならば「週末だけ家事代行サービスを外注する」でもいいだろう。何かしら問題解決の糸口が見つかるはずだ。 現代の夫婦は、共働き家庭であればお金がある代わりに余暇時間を夫婦で奪い合い、片働き家庭であれば時間がある代わりにお金を夫婦で奪い合う。だが、ここで示したような価値創造と問題解決のマインドを持てば、こうした奪い合いから脱出できる可能性がある。 次に、親子関係もさまざまな要因によって紛争へと至ることを確認していこう。 現代は戦前の家制度が崩壊して久しい。そのため家制度において「家長」という文字通り家庭経営者だった父は(ただし当時は家長が制度的に地位を守られていたため、実際に家庭の問題を自分の頭で解決する必要性は現代よりも小さかったといえる)、現代では「サンドバッグ代わりの中年」くらいの地位に堕してしまっている。 今では娘が父親に真空飛び膝蹴りを食らわせるような家庭も多いという。 母もまた家制度という縛りから脱け出して自由になれたとはいえ、今度は家庭をいかにして経営していけばよいか分からず狼狽している。性別問わず子が親に対しておこなう家庭内暴力のニュースに心を痛める人も多い。 現代は強い法的な縛りによって家族が一致団結する時代ではない。だからこそ個々人それぞれが家庭経営の考え方を持って親子の問題を解決していかないと、子殺しや親殺しといった最悪の悲劇にさえつながりかねないのである。 このとき、親子という関係性がこじれる一つの原因は「親が子の生き方を決めつけてしまう」というものだ。たとえば典型的には、勉強して、いい学校に入って、いい会社に入って……というルート以外を親が認めようとしないなどである。 もちろん、子は親よりも社会を知らない。子は親の役割を経験していないが、親は子だった時代を経験している。そのため人生の先輩としてある程度は親が子に道を示す必要はあるだろう。 だが「レモンを食べている状況を想像しないでください」と言われると唾が溢れてきてしまうように、何かをしないように強制することで逆にそちらに意識が向いてしまうこともよくある。夜更かし、外泊、飲酒、喫煙、深夜に食べるカップラーメンなど、禁止されればされるほど魅力的だ。 しかも、こうした禁止を強制している親自身が家庭には居場所がないからと毎日深夜まで飲み歩いていたり、ときには不倫相手の家に泊まり込んでいたりするのだから(こんなことを繰り返すから家庭に居場所がないのだが)、むしろ「子は親の背中を見てちゃんとその通りに育った」というべきである。 つづく「老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い」では、なぜ定年後の人生で「大きな差」が出てしまうのか、なぜ老後の人生を幸せに過ごすには「経営思考」が必要なのか、深く掘り下げる。
岩尾 俊兵(慶應義塾大学商学部准教授)